927gと466gで生まれた小さな双子の女の子。「ごめんね」と謝る私に「ママに会いたかったよ」…娘の言葉に涙があふれた【体験談】

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『頑張れ!』の応援に苦しさを感じるように

双子が小学校生活を送るうち、より小さく生まれたほうの愛彩さんは、学習や集団行動の面で難しさを感じる場面が増えたのだそうです。

「愛彩はクラスメイトから『頑張れ!』と応援してもらうことがたくさんありました。たとえば、運動会の種目の長なわとび。クラスみんなで挑戦する連帯責任の種目ですから、『あやちゃん、頑張れ!』と愛彩の背中を押してくれる子、愛彩の手を引いてくれる子がいました。だけど、愛彩自身も最大限に頑張っているのです。頑張っているのにもっと『頑張れ!』と言われるうちに、愛彩の気持ちがいっぱいいっぱいになっているようでした。

学習面でも、ゆっくり取り組めば理解できるのですが、学校の授業の進度についていくのは難しいところがありました。そこで私は放課後に自宅を開放して、近所に住む学習面がゆっくりな子を集めて、勉強のサポートをしたこともあります」(さとみさん)

愛彩さんは小学6年生までは普通学級で過ごしましたが、中学1年生からは特別支援級に通うことになりました。

「卒業後の高校進学を考えたとき、このまま普通級で過ごしていたら、さらに生きづらさを抱えてしまうんじゃないか、と。そこで、愛彩の適正検査を受け、障害者手帳の申請をして、中学1年生からは特別支援のクラスに通わせてもらうことにしました。その後、高校も特別支援学校に進学しました。

愛彩自身は『普通級ではクラスメイトたちがよくしてくれて、頑張れって言ってくれたけど、本当の友だちっていなかった。だけど特別支援学校に行ったら、仲間がいっぱいできてよかった』と言っていました。その言葉に、環境を変えてこの道を選んでよかった、とほっとしました」(さとみさん)

2011年にリトルベビーハンドブックを作ってから13年

さとみさんは双子が4歳のころ、愛彩さんが入院していた静岡県立こども病院の医師たちが作ったリトルベビーサークル「ポコアポコ」に参加し始めました。

「サークルには私と同じように低出生体重児を育てる先輩ママや先輩パパ、小さく生まれて成長した子どもたちもいて、とても励まされました。娘たちが5歳になるころに『サークルの代表をしてくれないか』とお話がありました。私は子どもたちが生まれたときに、自分ができることはなんでもします、と神様にお願いしたことを思い出し、何か恩返しができればと、引き受けることに。

サークル活動をしていたあるとき、新聞記事で熊本県による極低出生体重児の支援で、“くまもとリトルエンジェル手帳”があることを知りました。通常の母子健康手帳には記入できないリトルベビーの成長を記録できるサブブックです。静岡県にはないものだったので、『私たちもこの手帳がほしい』と強く思いました。私たちは熊本の手帳を参考に研究を進め、静岡県の助成金事業に応募して、当事者による初めてのリトルベビーハンドブックを作成しました。完成したのは2011年のことでした」(さとみさん)

その後、国際母子手帳委員会事務局長の板東あけみさんの協力を受け、リトルベビーハンドブック作成の動きが全国的に広がりました。

「13年たった今年、ついに47都道府県、すべての自治体で作成されることになりました。リトルベビーを育てる全国のママたちが『子どもの成長を記録できる手帳がほしい』という、同じ思いを持っていたのだと思います。あのとき『自分たちも作りたい』と声を上げてよかった、と強く感じます。

ただ、これがゴールではなく、まだまだたりない支援もあります。小さく生まれた赤ちゃんのママたちは、小さく産んだことに心を痛め、子どもの成長発達のことを心配しています。そんなお母さんたちにとって、安心して赤ちゃんを育てられる世の中になったらいいな、と、そういう思いでこれからもリトルベビーサークルの活動を続けていきたいと思っています」(さとみさん)

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