長女は発達障害があるかもしれない、でも・・・
――日本に帰国後、長女の幼稚園などでの様子はどうでしたか?
さわ 2歳から幼稚園に通い始めた長女は、クラスになじめなくて泣き叫ぶことがよくありました。あまりに泣き叫ぶので、娘だけ別室で見てもらっているようなこともありました。それで、あるとき担任の先生との面談で「娘は発達障害かもしれないと思いながら育てているんです」と伝えました。そうしたら、先生は「実は私もそう思っていました。保護者の方からそう言ってもらえると助かります。私たちもそのつもりで娘さんに寄り添ってケアしますね」と言ってくださいました。
正直、複雑な気持ちでした。どこかで「そんなことないですよ」と否定されたかった自分もいたんです。私は当時、大人を診る精神科医であって、児童精神科医ではなかったので、たくさんの子どもを見てきたプロの言葉はきっと正しいんだろうな、と。その先生は長女を普通に合わせようとするのではなく、長女のペースでの成長を見ようとしてくれました。娘も徐々に安心して通えるように。年少の秋ぐらいまでは園の行事に参加するのも難しかったんですが、冬くらいから徐々にお友だちと同じように活動ができるようになったんです。
私は娘に発達障害があるかもしれないと思いながらも、もしかしたら小学校もお友だちと同じようにやっていけるかもしれない、と思い、長女を公立小学校に入学させることにしました。
――小学校に入学後、いつごろから登校しなくなったのでしょうか。
さわ 小学校1年生になってまもなくから「学校がこわい」と登校を嫌がるようになりました。長女が2歳、二女が0歳のときに離婚してシングルマザーになった私は、そのころは勤務医だったので、生活のためにも仕事に行かなくてはなりませんでした。「学校に行きたくない」という娘をなかば引っ張るように校門まで連れていくこともありました。先生に連れられていく娘が泣き叫ぶ声を聞いて、「仕事を休んで一緒にいてあげたほうがいいんじゃないか」と胸が引き裂かれるような思いでした。
学校に行けないのは自分のせいかもしれない、と不安だった
――長女の発達について受診したきっかけはどんなことでしたか?
さわ 私は、長女の登校しぶりは発達障害があることに関係がありそうだと思いつつ、診断を受けに行っていなかったんです。ですが、私の両親から「仕事を休んででも娘の登校につき添うべきだ」「発達障害なら診断を受けにいくべきだ」と言われました。両親にとっては孫が小学校に行かないことは受け入れられなかったんだと思います。それで、1年生のころに小児科でWISC(ウィスク※)という知能検査を受けました。その結果、長女は「自閉スペクトラム症(ASD)」があると診断されました。
――診断を受けてどう感じましたか?
さわ ほっとしました。長女が小学校に行けなくなったとき「自分がだめな母親だからこの子が学校に行けないのかな」と悩みましたし、親からも「あなたが母親としてしっかりしていないから行けないんじゃないか」と言われ、責められていると感じていたんです。診断を受けて、しんどかった子育てに1つの答えが出た気がしました。
受診した小児科の先生が「学校に行くのに時間がかかる子は、時間をかければいいだけよ。ニュージーランドとか外国に移住して子育てしてもいいんじゃない?」と言ってくれたんです。私は日本の学校に適応させなきゃ、と強いプレッシャーを感じていたので、そんなに頑張らなくていいんだ、無理に学校に連れて行かなくていいんだ、と安心して、その場で大泣きしてしまいました。
2年生からはつき添い登校をしながら少し登校していましたが、しだいに登校する日は少なくなり、今はほとんど自宅で過ごしています。
※5歳0カ月〜16歳11カ月までの児童を対象とした神経発達症の補助検査
配信: たまひよONLINE