2015年にJJ専属モデルオーディションで特別賞を受賞したティファニー春香さん。雑誌「JJ」を卒業後もモデルとして活躍しています。今年の夏に第1子長男を出産し、ママになりました。3姉妹で二女の春香さんは8歳のときにアメリカから日本に移住。モデルになるまでのエピソードから、不妊治療を選択した理由など、さまざまなことを聞きました。全2回インタビューの前編です。
「掃除当番」や「給食」、「ランドセル」など、日本の学校生活すべてが新鮮
――ティファニー春香さんはお父さんがアメリカ人、お母さんが日本人とのことですが、幼いときはどちらの国で生活をしていたのでしょうか?
ティファニー春香さん(以下敬称略、春香) 8歳までアメリカのミシガン州で⽣活をしていました。⽥舎町でしたが、湖や緑の多い⾃然に囲まれた環境の中でいつも元気に遊んでいました。⼩学3年⽣のときに⽇本に移住することになり、⽇本の⼩学校に転校したのですが、アメリカと⽇本の⽂化の違いに驚くこともありました。
――アメリカと日本の文化、どこに違いを感じましたか?
春香 まずは言語ですね。会話は母が日本語で話してくれていたので自然と身についていきましたが、書くことと読むことは大変でした。「ひらがな」、「カタカナ」、「漢字」の3種類の文字があって、それを覚えないといけないことにびっくりしました。
また、学校生活では掃除や給食当番があることも衝撃でしたが、給食当番になると白衣を着てクラスみんなの食事の準備をすることは“コックさん”になったようで楽しかったです。ランドセルや体操服、上ばきがあることも新鮮でとにかく刺激的な学校⽣活を送っていたことを覚えています。
――アメリカと日本、環境が違うので子どもながらにとまどったこともあったと思います。
春香 通うことになった小学校はハーフの子どもがいなかったので、髪の毛や瞳の色が違うことで視線を感じることはありました。そこで「自分はまわりの子とちがうんだ」と認識しましたが、姉と妹も一緒に通っていたので心強かったです。
――春香さんは3姉妹の真ん中ということですが、どんなお子さんでしたか?
春香 1つ上の姉は天真らんまんな性格で活発なタイプでした。私はおとなしく、恥ずかしがり屋でいつも母に隠れているような子でしたが、⾃⼰主張は強かったようです。4つ下に妹がいるのですが、小さいころは3人で思いっきりきょうだいげんかもしましたが、大人になった今はなんでも話せる親友みたいな関係です。
――大人になってからの良好な関係性はすてきですね。
春香 私の出産のときは姉がいろいろと助けてくれました。姉には3人の子どもがいます。来年の2月には妹が出産予定なので、私が愛読していた『たまごクラブ』を引きつぎました(笑)。うちの子と妹の子は同じ学年になるので今からとっても楽しみです。
オーディション当日にかけられた母の言葉がお守りに
――2015年JJ専属モデルオーディションで特別賞を受賞し、モデルの仕事を始めたとのこと。モデルは小さいころからあこがれだったのでしょうか?
春香 小さいころからファッション雑誌やショーを見てモデルさんにあこがれをもっていました。でも、恥ずかしがり屋で人前に立つことは苦手な性格だったので、⾃分には手の届かない世界だと思っていました。それが⼤学2年生の終わりに母からJJの専属モデルオーディションがあるから挑戦してみたら? とすすめられてオーディションを受けることにしました。母はかつてJJが大好きだったそうなんです。
――JJモデルとなるきっかけはお母さんだったんですね。
春香 当時19歳だったので10代最後に何か大きなことにチャレンジしてみたい!という気持ちと、母から背中を押してもらえたので思いきって受けてみることにしました。オーディションに行く日に母から「悔いなく、自分らしく、思いっきり楽しんできて!」と声をかけてもらったことで、全力で自分を出しきることができました。
――モデルのお仕事で大変なこと、逆に楽しいことはどんなことですか?
春香 モデルを始めた当初から、表現するということの難しさは感じています。私が的外れなポージングをくり返すのでカメラマンさんから厳しい指導を受けたこともあります。そのときに「⾃分を魅せるのではなく、洋服を魅せることに意識しなさい」と⾔われた言葉が強く印象に残っていて、カメラの前に⽴つたびに思い出します。
楽しいことは、人見知りはあるものの、現場に行くとプロフェッショナルな方に出会えていろんなお話しを聞けることが本当に楽しいです。
配信: たまひよONLINE