NYEGE NYEGE|マヒトゥ・ザ・ピーポー

NYEGE NYEGE|マヒトゥ・ザ・ピーポー

工場地帯、煙突の炎がゆらめている23時の羽田第三ターミナル。ビルの窓から暮らしの残像が漏れ出していて、地平線にはりつく中を機体はうなりながら進む。

小窓から小さくなっていく光を見て、ウガンダへ向かう長いフライトのはじまりを思った。NYEGE NYEGE FESTIVALというウガンダのジンジャーで行われるフェスにGEZANで出演するためにわたしたちの体は轟音の中、運ばれている。遠く別の機体の飛行が見えた。わたしの出発地を別の誰かは目的地にしている。一つの球体の中でわたしたちは体勢をいれかえる。

 

知らない国の頭上で飲む甘すぎるアップルジュース、トランジットにてドーハの空港につく。3時間の休憩をGOLDを売るお店の横でコーヒーを飲みながら過ごす。オイルマネーのおかげか空港全体はリッチな造りで、電動のカートでゆるやかに通り過ぎていく富裕層の後ろから余裕がポタポタと漏れ出している。つくづく、国民性は政治的な背景という湯水に浸かり、当然のように情勢が色濃く関係せざるを得ないのだと感じる。だとすれば、わたしの住む日本で今どんな水に浸かっているのだろう? 異国の香りの中そんなことを考えた。

 

そこから5時間のフライトでビクトリア湖の淵にあるエンテベ空港につく。飛行機を降りた瞬間、上着と皮膚の間をじっとりと汗が張り付いた。11月の気候とは思えず急いで上着を脱ぐ。そこから車で首都カンパラを通過し、ナイル川の脇にあるジンジャーのホテルへ移動した。途中のカンパラ付近の道はジェットコースターか何かのアトラクションのようにでこぼこしていて、聞けば、国から道路補正の補助金を引っ張り続けるためにあえて直さないらしい。そのせいで凄まじい渋滞の列をつくり、細い糸のようにか細かった我々の最後のHPを削り取り、ホテルに到着するやいなや、全員の糸はぷつりと切れて気絶した。24時間以上の移動だった。

 

翌日、目を覚まし、ナイル川を見ながらタバコを吸う。漁師が魚釣りをしていて、話していると自分たちの住んでる村を案内してくれることになった。わたしは漁師のブラック(名前)と日本から来た友人のゆうみと散歩にでかけた。ゆうみはたまたまフライトが同じだったが一人で何もかも手筈を整えて来た強者だ。ホテルを出たところに猿がいて、見たことのない色の花の艶やかさに触れ、赤土の上を歩いている。靴底がわたしの体重を支え、見知らぬ赤土の感触を喜んでいる。

小さな集落につくと、質の悪いラジカセからレゲエがかかっている中、ニワトリが放たれ、銀色の小魚が地面に干されている。魚を試食させてもらうと、最初から余韻ではじまるようなにがみと甘みが口の中に広がって、異国にきたのだと体が直感を開始した。

ブラックはここにいるのは皆、家族なのだと言った。血縁ではなく、クルーという意味の家族だろうとすぐに理解することができた。わたしにもそんな家族がたくさんいるから。知らない鳥の鳴き声のカーテンをくぐって河岸にいき、木製の船に乗せてもらう。泳いでいる人、洗濯をしている人、その誰もがナイル川と当たり前に暮らしていた。

川の流れはゆるやかで、移動の喧騒で緊張していた神経が静けさにほどけていくのがわかる。ゆらめきながらわたしは誰でもなかった。ただ太陽の光を浴びながら揺れる一塊の肉だった。コバルトブルーの鳥が飛んでいく。ホテルの横を通り過ぎると聞き覚えのあるバグパイプの音が風に運ばれ聞こえてきた。

「あれはバンドメンバーの音だ」と伝えると、「一体どんなバンドなんだ?」と笑った。本当だ。一体どんなバンドなんだろうか。今、ウガンダにいる。動いた痕跡を辿る筆は歪な曲線の水墨画を描いていた。

フェスのスタッフから諸々の説明を受ける予定の時刻が迫っていて、船を降り、急いでることを伝えると、バイクに乗せてくれた。エンジンの音が下から突き上げ、風が髪を洗った。懐かしい気持ちが血液を回る。あの永遠に続くかのように思っていた夏休みは静脈の裏でずっと続いていた。その回路をもう一度今、ここで現在とつむぎ直す。下書きのない日々を出迎えるように風は声に出して笑い、応えるようにわたしも目一杯笑った。

GEZANクルーと合流し、午後はダウンタウンに繰り出して、昼食をとりにいく。バイクタクシーにニケツで乗って、駆け出した。バナナでつくられたマトケとご飯、よく日を浴びた白身魚のシチューの身は柔らかく、口の中ですぐにほどけていく。

ホテルにはシャンプーもリンスもドライヤーもなく、それらを探しに来たのもダウンタウンにきた目的だった。異形のアジア人が道を歩いてる姿を見るなり、合言葉のように「NYEGE NYEGE!」と皆が声をかけた。九年目になる祭りだが、祭りに実際に来ない人の中にも共通言語として浸透していて、ジンジャーの街にカルチャーとしか呼びようのない広がりを生み出していた。

途中、わたしの長髪に目を満月のように丸くさせた陽気な姉妹に出会い、探し物を伝えると「わたしについてこい」と腕を取り、街を案内してくれた。目まぐるしい速度で店を転々としたが、なかなかドライヤーは見つからない。よくよく考えてみれば、髪型的にもアフリカの大多数にとっては必要のないアイテムだった。シスターに道で何を売っているのか聞くと、「毒だよ。虫を殺すんだ。」その言い放つ勢いに笑った。

やっとドライヤーを手に入れると「次はなんだ?」と聞くので、bluetoothのスピーカーが欲しいと伝えると、路地裏に連れて行かれる。もうこの時点でほとんどお祭りで、噂を聞きつけた街の皆がとにかく赤いものを持ち寄って集まってきた。赤い水道のホース、赤いベルト、赤いマネキン、赤い洗濯バサミ、赤いヘルメット、後半は売る気もほとんどなく半分大喜利のようになっていた。

やっと見つかったbluetoothの動作確認のためにケータイにつないでNYEGE NYEGE TAPESのヒーローの一人DJ Diakiを流したら、路地裏が一気にパーティー会場へと変わり、ダンスタイムが瞬間で発熱した。NYEGE NYEGEの原点とも言うべきポテンシャルはこの瞬発的なバイブスなのだと興奮した。

街をアテンドしてくれたシスターと最後にマーケットにいき、アイスを食べながら、別れるのがさみしいねと何度も言うので、NYEGE NYEGEに招待して「また明日」で別れた。

 

その晩、NYEGE NYEGEの初日に会場入りする。演奏開始時刻だったが、装飾もつくっている最中だった。翌日のGEZANが出演予定のメインステージでKingdom Choirがリハをしている19時、凄まじい量の虫がステージのライトに集まっていて、アカペラで彼ら彼女らの歌う顔や口の中に相当な量が飛び込んでいくのを見て、自らのステージを想像し、戦慄した。箒でステージ床を掃くステージマネージャーに「虫すごいね」と伝えると、中指を立てながら「1時間で消えるよ」と言った。そんなわけあるかと思ったけど1時間後、綺麗さっぱりいなくなっていた。赤道に近いウガンダは一年中、日の出と日の入りが同じ時間らしく、そのため寸分の狂いもなく決まった時間にやってきて、去っていくのだそうだ。虫がいなくなったらなったで少し寂しく思った。恐ろしくも、夏に見る雪のようで美しかったからだ。

神聖なハーモニーでハレルヤを歌うKingdom Choirで幕をあけ、次にNakibembeが登場した。鼓童が佐渡島に呼び、Frueが代官山UNITで単独公演を企画した、我々のアフリカ行きを決意させたチームだ。

通常、天然リバーブのために3×0.5mの穴を掘り、バナナの木を配置し、その上にエンベールという木を置いて叩く六人のポリリズムは人力トランスだ。それらが暴き出すのは、シンセサイザーが発明されクラブミュージックが誕生するよりも前から脈々と流れるサイケデリックの歴史の深淵さで、シンセサイザーはそのリズムの配列を電子音に置き換えたにすぎず、ブルースやロックンロールよりももっと太古からサイケデリックは存在していたことの証拠を現在に提示してみせる重要なバンドだ。彼らの音楽を聞いていると、どこかで自然と思い込まされていた歴史の順列が修正される。つくづく西洋文化によって歴史は都合よく書かれている。コロンブスが大陸を発見したという記述が今も堂々と歴史の教科書に掲載されているのだから。発見されるよりも前から先住民は暮らして遥かに奥行きのある文化を形成していた。

そんなNakibembeのサイケデリックな高揚が祝祭としてのセレモニー、例えば結婚式や卒業などの場面で演奏されていることの意味をもう一度考え直すことは重要だと思う。日本ではドラッグカルチャーとして簡単に侮蔑の対象として扱われるが、そもそも盆踊りのようにミニマルな反復で自他の境界線をなくすサイケデリックな伝統が日本にもちゃんと存在している。

NYEGE NYEGE、2日目、昼過ぎにリハをするために会場に向かう。ステージ横までは車で行けず、機材を手にお客さんと同じ列に並び、赤土の上を運ばなければならない。空港の手荷物検査場のように赤外線の中にエフェクターや剥き出しのギターが通っていく景色はシュールだった。

ウガンダでは主催よりも警察の権力が圧倒的に強く、アーティストも特別扱いを受け通過することはできなかった。ライフルを持った警察に4度ほど身体検査をされステージ裏につくと、ついていきなり4時間押しと報告を受ける。PAがまだ到着しておらず、船で対岸に運ばれてしまったようだ。会場を歩いていると、川沿いでピグミー族が歌っていて、その歌との距離の近さに見惚れてしまった。きっと本番もリハもない世界線に歌があるのだろう。音とどんな関わり方をしているかは演じることなどできない。生活と地続きで並走するように音楽と過ごすことは可能だろうか? 

途中、強い雨も降ってきたので、テントで缶詰になり、ウガンダのギャングスタラッパーとの待ち時間はなかなか痺れるものがあったけど、無事リハは終了してホテルで整える。

GEZANのステージは、順番を入れ替えたりなんやらで1時間押しではじめることができた。自分の感受性はその時点でコップから溢れていたので、とりつくろうことも不能な意識の高揚をシェアできたのではないかと思う。ライブの終盤、フロアにダンスを魅せあうサークルができていた。その中でトワーキングという男女が腰を振り合うものもあった。わたしは普段、東京のクラブなどで遭遇する際、そのダンスがセックスアピールすぎてあまり得意ではなかったのだけど、「東京」という怒りを持ち寄ったアンバランスにも思える曲の演奏中にその光景が目に入った時、不思議と嬉しいと感じている自分がいた。それは衣食などと同様にセックスも同様に生を肯定するムーブなのだと伝わってきたからだった。そしてそれは東京という曲の持つコンセプトとも相反するものではなかった。


ライブが終わり、深夜に向かう過程で楽屋の治安が悪くなっていく忠告を受け、一度ホテルに機材を戻し、再びフェスに戻ってくる。熱狂の渦巻くフロアはそれぞれの肉体と意識を解放させる素晴らしい光景で、中でもナイジェリアのDJ Travellaのsingeliは高速のカリンバを聴いてるような軽快なエレクトロレイヴでキックの重さがないせいか、BPMは速くても疲れのこない魔力的な誘いでフロアのレッドラインを一気に突破した。このあたりから意識は朧げで、最終的には泥に塗れた真っ白な朝を迎える。

イーグルはパスポートと財布、この旅のためにバンドで購入したフィールドレコーディング用のレコーダーなどを落とし、完全にやらかした原始の状態にてホテルに戻る。ゆうみはケータイを落とし、「人生一いい仕事をした」と豪語していたGEZANのフロアの様子などを記録した映像データももろともアフリカの夜に溶けていった。所詮、我々の能力なんてこんなものだとナイル川にかかる朝霧を見ながらそんなことを思っていた。

翌日はひどい二日酔いと共に目覚めて雨の降る中、倍の重力を感じる体を引きずり会場に向かう。人だかりができている中、主催のDerekに手招きされるとウガンダの副大統領がいて、日本から来たミュージシャンだと紹介される。その一行と、伝統的なアフリカンレスリングや、BWINDI BATWAやINDONYI TAPAA などいくつもの部族の歓迎の歌を聴く。パレードのように目まぐるしく歌われる輪唱は艶やかでエネルギーに満ちていた。

副大統領がステージの上でスピーチをするのを、屈強なウガンダの大男たちが柵にしがみつき、「Mama! We love you!!」と何度も絶叫していた。日本で同じシチュエーションで副総理がステージにでも上がったら、ブーイングの嵐だろうと容易に想像できる。NYEGE NYEGEの素晴らしさとサポートを続けることを表明して、拍手の中退場していく。ちなみにこの時間は例の19時で、凄まじい量の虫が飛び交い、副大統領は顔に降り注ぐウガンダの粉雪をかき分けてスピーチをしていた。

NYEGE NYEGEのステージは、SPRIT OF UGという56を超える部族の輪唱や親指ピアノなどウガンダの多様な文化のステージ、HAKUNA KULALAという気鋭レーベル主催するシンゲリ、アマピアノなどの先鋭的なダンスミュージックのステージ、それに加えてメインステージは街の兄ちゃん姉ちゃんなんかも集まる開かれたステージ、ここではHIP HOPやR&Bなどの大衆的なシンガロングが常で、GEZANがここでやったのは割と異例な感じがする。

この三つが揃うことで、このフェスは独特なバランス感を生んでいて、伝統に固執し崇めるでもなく、エクストリームなダンスの飛びにだけにつかまるのでもなく、コアな音楽にどっぷり潜るわけでもなく、大衆を軽視するわけでもなく、音楽が均一に美しいのだというベースがこのフェスの自由な抜け感を作っている。土着と飛びと大衆のバランス感を日本で体現してるフェスは、今現在ないと思う。

これに加え、DARK STARという日陰のアンダーグラウンドとUBUTU STAGEという酒が最も出るであろうチャラさのあるトワーキングなステージ、激渋のREGGAE STAGEが用意されている。わたしのように雑食な人間が感性を散らかすにはこれ以上の環境はない。ちなみにBOREDOMSのEYEさんのXのフォローは唯一このNYEGEアカウントでその心酔ぶりが伺える。

アフターとして室内に場所を移動して行われた最終日は、NYEGE NYEGE ALL STARSといった様子でレーベルからリリースしたアーティストがぎゅっと集まっていた。Emanuelle Parreninは、この旅で仲良くなったフランスのハーディガーディーのアーティストで、Kingdom Choirとのセッションは瞑想的な桃源郷の入り口に立たされた。いつか音一緒に出そうね~と固く抱き合った。

ASENAL MIKEBEは、三つのパーカッションを叩くグループで、その粒立の細かさや加速度からハードコアパンクの領域にグルーヴのまま突入し、はしゃぎすぎて筋肉が断裂した。

翌日は車でNakibembeの村に向かう。NYEGE NYEGE TAPES でリリースしているご好意で、連絡をとり歓迎してくれることになった。ジンジャーの喧騒を抜け、静かな木々の風景を車窓から流しながら数時間を数えた。

村に到着すると、エンベールの周りに村民がすでに集まっていて、その影から二十人ほど子供たちが不可思議な赤鬼を見るようにまんまるな目でこちらを見ていた。一人で家の周りを散歩していると、我々のためにエンベールを叩いての演奏が始まったのが聞こえたので音の方へ歩く。地面に穴が掘られ、Nakibembeを聞くのにこれ以上ないホームな環境での演奏は宇宙という最も軽率な言葉を使ってしまいたくなるほどに狂おしく、地球を二周半して琵琶湖あたりまで意識はかっとばされた。


その後、振る舞いのカレーをご馳走になり、外に出ると、緊張のほぐれてきた子供たちがわらわらと集まってきたので、鬼は鬼らしく鬼ごっこをして遊んだ。言語なんて簡単に飛び越えられる。そんな充実した感覚に浸りながら村を駆け回った。その間、世襲で次の若き世代がエンベールを叩いて練習していたが、本家には及ばず、音の張りの明確な違いに奥行きを感じていた。その後、再びエンベールの演奏を聴きながらダンスを鑑賞。いつもこうやって皆で音楽を囲い集っているのだろう。阿寒のアイヌと交わり演奏をするウタサ祭りの打ち上げでも似た感覚になったのを思い出す。その頃になると子供たちはわたしの周りに集まり、こしょぐったり、ちょっかいをかけてくるようになる。日もちょうど落ちてきて、帰り支度をし、家の裏でリーダーに歓迎のお礼を渡す。車に乗り込んだわたしに手のひらを見せて子供たちが集うのでハイタッチしていると、皆その手を広げて「Money!! Money!!」と言っていることに気づく。急に胸に暗雲が刺すような気持ちになった。一人に渡したらキリがないのは明確で、そんな雲間を置き去りにするように我々のバンはドアを閉めて出発した。

英語を話せるのは一人でほとんどの村人は話せないのに子供たちは「Money」という言葉を無垢な子供が皆知っている。きっと、さまざまな状況で必要に駆られ何度も使ってきた言葉なのだろう。「あの笑顔はそのためだったのか?」そんな疑念が頭をかすめるが、きっとそれとこれとは別の話で、感じたフィーリングに嘘はなく、その上で「Money」という流れは、矛盾を含まない自然な流れなのだと思う。慣れないプロセスに心がたじろぎながら、自分が今日、日本で置かれている環境の特権性を思っていた。そのことにたじろぐことができるほどには、わたしたちは切迫した状況とは別のレイヤーにいる。

考えてみれば、空港のビクトリア湖という名称もイギリス領の名残で残された名前だろうし、ナイル川で船に乗せてもらった時も川の向かい側に真新しい青のスライダープールが見えた。きっと西洋人がバカンスでやってくるのを迎えるためだろう。その横に建設中のホテルも地元の労働者が生活のために働いている。それぞれが状況を受け入れながら、複雑さを請け負ってその上で笑ったり歓迎してくれたりしている。ちなみにナイル川で船に乗せてもらった後にもお礼は渡している。そんなことを期待しての行動とは思わなかったからブラックは少し驚いてもいたが、善意に甘えず、旅行者は分けて考えなくてはいけない。

国境なんてただの線で何も変わらないという実感と、わたしたちは違うのだという実感、その二つは混じり合わず、それぞれのリアリティを互いに独立させながら同じ球体の上で直立している。わたしたちは複雑な問いと単純な答えとの間を行き来する。ちょうどゆらゆらと川を船で渡るように。

 

そんなことを思いながら帰りの飛行機、最初の出発地を目的地に変えて、わたしは飛翔する。

(photography by Agnieszka Sejud)

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