「不妊カウンセラー」として、妊活や不妊治療に悩む人たちをサポートしている笛吹和代さん。自身も、30代のときに不妊治療を経験し、仕事との両立に苦しんだ経験から、「不妊治療と仕事の両立が可能な社会を作りたい」という思いで活動をしているそう。そんな笛吹さんに、2回にわたってインタビュー。前編は、仕事をしながらの不妊治療で大変だったことや退職をしたときの心境などを教えてもらいました。
結婚当初は、妊活を始めたら、すぐ妊娠できるものだと思っていた
――笛吹さん自身が不妊治療と仕事の両立で悩んだことが、「不妊カウンセラー」という仕事を選ぶきかっけになったそうですね。不妊治療を始めるまでの経緯を教えてください。
笛吹さん(以下敬称略) 私は29歳の直前で結婚し、当時は化粧品メーカーで工場の技術職として働いていました。臨床検査技師として医療の現場や製薬会社で働いていた経験を生かして、新製品の立ち上げに携わっていたので、研究も開発・製造もなんでもやるという感じ。
結婚したときはまだ20代だったこともあり、避妊するのをやめたら、すぐに赤ちゃんを授かれるものだと思っていたため、妊活についてはあせっていませんでした。仕事も忙しく充実していたときでもあったので、結婚してしばらくたってから、仕事を優先しつつなんとなく妊活を始めました。
でも、1年たっても妊娠しなかったんです。「20代では避妊をやめると1年で約8割が妊娠をする」というデータを見たことがあったので、そのときに初めて「あれ、もしかして、私、妊娠しづらいのかな…」と心配に。
そこから初めて排卵検査薬を使って排卵を確認し、排卵のタイミングに合わせて本格的に妊活を開始。半年後に1度妊娠したのですが、流産してしまったんです。
流産のあとも、もう少し自分で頑張ってみようと思って、妊活を続けていましたが、過多月経のような症状が強くなってきて…。生理の日は朝起き上がれないほど体がしんどくなって、血圧が下がって、顔色も悪くなってしまい…。もともと生理周期が短いことも気がかりだったので、それも妊娠しづらい原因になっているのかな…と思って、不安を解消するためにも不妊治療のクリニックに通うことにしました。
当時はまだ不妊治療に対する理解が少なく、仕事との両立に苦労しました…
――仕事をしながらの不妊治療は、どんなことが大変でしたか?
笛吹 まず、頻繁にクリニックに通う必要があるので、通院するのが大変でした。私は排卵の状態がよくなかったため、排卵誘発剤を使っての治療となりました。でも、排卵誘発剤を使い始めたら、なぜか、上手く卵胞が成長しなくなってしまったんです。それで、排卵誘発剤を増やしたら、今度は急に発育する卵胞が増えすぎてしまって。排卵誘発剤の量を先生がこまかく調整する必要があったので、生理が終わってから排卵まで、毎日のようにクリニックに通わないといけなかったんです。今は排卵誘発剤は自宅で自己注射という方法を選ぶこともできますが、当時、私の場合は自己注射は選択できませんでした。
私の職場は公共の交通手段が少なく、車通勤が基本。職場からクリニックまでも車移動ですが、道が混んでいると1時間半くらいかかってしまうので、17時の定時に上がって急いで向かっても診療の最終受付に間に合うかどうかギリギリで。もともと、私の部署では17時の定時に帰る人はいなかったから、肩身の狭い思いをして通院していました。
職場の理解を得るのも大変でしたね。当時、職場の女性たちが妊娠・出産ラッシュだったこともあり、常に人手不足の状態でした。会社側からは、「もうこれ以上妊婦が増えたら困る」というような空気を感じましたし、実際、他部署の上司がそういう愚痴をこぼしていたのをたまたま聞いてしまったこともあります。
通院のために定時で上がっても、通院後、職場に戻ることもありました。土曜日は通院しなければならないと上司に休日出勤が無理なことを伝えていても、通院中にトラブル対応の電話がかかってきたことも…「なんでいないんだ! 困っているから、出社して」と。
今では「働き方改革」という取り組みがあって、不妊治療に対しても少しは理解があるけれど、当時はまだまだほとんど理解がない時代だったし、田舎ということもあって、なかなか厳しい状況でした。
配信: たまひよONLINE