32歳、不妊治療と仕事の両立に行き詰まり退職を決意。子育てしながら、不妊カウンセラーを目指して

32歳、不妊治療と仕事の両立に行き詰まり退職を決意。子育てしながら、不妊カウンセラーを目指して

県外のクリニックへ転院して不妊治療に専念したく、退職を決断!

――苦労されましたね。その後、退職をして不妊治療に専念したということですが、退職を決めた理由はありますか?

笛吹 退職を決めたのは、32歳の誕生日を迎える直前。私自身、これまで生殖の分野にかかわっていたこともあり、「33歳ごろから体外受精の成功率が低くなる」というデータがあることを知っていたんです。それもあって、体外受精に進むなら、なるべく30代前半で…という気持ちがありました。体外受精をするなら、体外受精に力を入れているクリ二ックに…という思いもあり、そうなると県外のクリニックへ通わないといけなかったんです。当時はまだ費用も全額自己負担の時代だったので、高い費用を払うなら、少しでも実績の多いクリニックで治療をしたかったんです。

県外のクリニックに通院するなら、有給もあっという間になくなってしまうし、仕事をしながらの治療継続にはもう限界も感じていました。さらに、部署も人が少ないまま、繁忙期に入ろうとしていたので、もし、私が妊娠できて産休・育休をもらったら穴が空いて迷惑をかけてしまうなぁと。もうずっと人員不足でギリギリの状態で回っている状態だったから、本格的な繁忙期に入る前に、私が辞めて人を補充してもらったほうがいいのでは…という思いもあり、迷うことなく、退職を決めました。

――退職後は、もう仕事はいっさいしないで、不妊治療に専念をしていたのでしょうか?

笛吹 はい、ひとまず、会社を辞めてしばらくは、不妊治療に専念するつもりでいました。もし、妊娠できなかったら、検査技師のアルバイトをしようと思っていましたが、幸いにも、退職後、数カ月で妊娠できたんです。

でも、実は妊娠中もずっとトラブル続きで。のんびり、楽しい妊娠生活とは無縁でした。まず、つわりがしんどく、初期には出血もあって不安に。もうすぐ安定期というときに、大量出血もありました。医師の説明では、胎盤が低めの位置にあって、子宮口の近くにあるということでした。その部分がちょうど血管が多いところで…というような説明を受けました。
1カ月くらいは自宅で安静にするように指示が出たので、仕事を辞めていなかったら、休職することになっていたと思います。
その後、おなかが大きくなるにつれて、胎盤が上がってくれて、出血もなくなりました。でも、安静指示が解除されても、1度、大量出血を経験していると何かと不安で…。その後の生活もおそるおそる…という感じでした。

幸いなことに、お産はスムーズ。胎盤の位置が低めだったこともあり、出血が多く、私の血圧は下がってしまいましたが、赤ちゃんは元気に生まれてきてくれました。

子どもが3歳半のときに不妊カウンセラーに転身。軌道に乗るまでは、地道に発信

――不妊カウンセラーとして、仕事を始めたのは、お子さんが何歳くらいのときですか?

笛吹 子どもが1歳半になってから、派遣社員として健診関係の会社で働き始めました。保育園には入れなかったので、実家の両親に子どもの面倒を見てもらって。そのころから、自分の経験をいかして、少しでも誰かの役に立てたら…と思うようになり、不妊カウンセラーという資格に興味を持ちました。でも、まだ、子どもが小さく、私にべったりという感じだったので、子どもと離れて、東京に泊まって数日講座を受けるのが現実的に難しいと感じていました。今でこそ、オンラインの受講もありますが、当時はまだ通うしかなく…。
子どもが3歳半くらいになって、もう、夫に任せても大丈夫かな…というタイミングで、講座を受講し、資格を取得しました。夫の理解と、あとは実家のサポートがあったので助かりました。

――サポートがあったとはいえ、育児をしながら勉強するのは大変だったのでは?

笛吹 そうですね。でも、私はもともと夜行性というか夜遅くまで起きているのが得意だったので、子どもが寝てから、1時2時くらいまで勉強をしたり、勉強したことをブログで発信したりしていました。
幸いにも、うちの子は寝かしつけがあまり必要ないタイプで。わりと勝手に寝てくれてることが多かったんです。親が手をかけないタイプだったからか、小さいときから自分のことは自分でやるタイプで、ありがたかったです。

――不妊カウンセラーの仕事はすぐに軌道に乗ったんでしょうか?

笛吹 皆さん、個人を相手にそう簡単に相談しようとはなりませんよね。なので、最初は一方的にインターネットで発信するという形で活動をしていました。不妊治療の情報ってまだまだ少ない時代だったので、困っている人たちに、少しでも情報が届けば…という思いで、地道に続けていたんです。

そうするうちに、雑誌やWEBなどの媒体から声がかかって記事にしてもらったり、コラムや監修というような形で発信をさせてもらったりという機会に恵まれるようになりました。
当時は、まだ、そこまで自分の不妊治療の経験を発信する人は多くなかったんです。とくに顔も名前も出して発信している人は本当に少なかったと思います。そんなこともあって、声をかけていただく機会が増えたのかな…と思っています。
今では、個人のオンライン相談のほか、サプリメントやフェムテックの会社の相談窓口のお手伝いをしたり、福利厚生の企業のオンラインセミナーの講師をするなど、妊活や不妊治療に悩む女性のサポートをしています。

お話・写真提供/笛吹和代さん 取材・文/渡辺有紀子、たまひよONLINE編集部

笛吹さん自身の不妊治療のこと、会社を退職し、不妊カウンセラーになった経緯などを中心に教えてもらいました。後編では不妊カウンセラーとして多くの不妊相談を受けている中で見えてきた現実や、今後の社会の課題などを紹介します。

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