午後、河岸を替えて手ごわい虹を掛ける
さて、午後である。
駐車場下のプールは満員だったので、一匹を掛けた瀬をもう一度辿ってみることにした。釣り人は降りやすい左岸から立ち込むので、いくらか拾える魚がいるとしたらたぶん右岸のはずだと見当をつける。師匠はまだコーヒーを飲んでいる。思った通り、右岸よりのプールからポツリポツリと掛けることが出来た。魚は放流されたままプールに留まって、まだ瀬には出て来ていないようだ。
右岸には石組みの壁が迫っている。右利きが右岸から釣り上るので楽ではあるけれど、でも油断すると壁際の雑木にフライを取られる。腕が縮むとパチンとティップにフライが絡む。ロールキャストにサイドキャスト、脇を締めて肘でロッドを振る。少しは上達したかしら。
途中、師匠が降りて来て、魚はもういないはずの左岸ですぐに掛けた。交互に釣り上っていたがいつの間にか師匠は竿を置いて同い年くらいの釣り人と歓談している。上流の禁漁区ギリギリのプールで抛っていた私を見ると、左手を大きく動かすしぐさをしている。「ホールを効かせよ」というのである。「狭い瀬でも技と気持ちは大きく」と師匠が常々言っていることである。
魚が跳ねだし、底に沈んでいた群れが少し浮き出したようだったが、釣り人まみれで手垢のついた瀬にドライフライを追う魚はいない。フライを替えても駄目だったしティペットを細く長くしても駄目だった。ストリーマーとかニンフとか、沈めて釣るのが良いように思えた。
師匠は話し込んだり、果てはキャストの講釈を始めたり、虹の時間を楽しんでいる様子だった。普段は一匹でも掛けると後はこんなふうに過ごすことが多い。フライの楽しさをたった一匹で完結させているのだ。
反省と希望。そして自画ジーサン
結局、午前一匹、午後三匹のまま日が暮れてしまって、西米良のニジマス釣りはちょっぴり無念を滲ませて終わった。その帰り道に、師匠はドライで四匹掛けたことをほめてくれた。特にドライフライはキャスト八割、その八割の、まあ半分くらいは上達していたな、とおっしゃる。
この日、多い人でも五、六匹と聞いていたので私の四匹はまずまずではなかろうか、と自画ジーサン。往復600km、日帰り、全部師匠の運転だった。弟子のためにいろいろ無理をしてくれているのが分かって、なかなかの師匠ぶりであった。