「なんとなく」を言い訳に理由探しから自由に! ~理由を手放し余白をつくる練習~|永崎裕麻

「なんとなく」を言い訳に理由探しから自由に! ~理由を手放し余白をつくる練習~|永崎裕麻

僕らは理由をでっちあげて生きている

「なぜ世界一周したんですか?」

「なぜフィジーに移住したんですか?」

「なぜフィジーから日本に再移住したんですか?」

僕がよく質問されてきたことです。

 

行動した理由や意味をすごく皆さん知りたがっていました。本音をいえば、たいそうな理由などなく、「なんとなく」というのがいちばん近い答えです。

でも、「なんとなく」で終わらせると気まずいので、相手に納得してもらえるように、それっぽい理由を後付けで並べ立てます。

就活のときの「志望動機」もそう。面接で「ライバル(同業他社)のA社ではなく、弊社(B社)を志望した理由は?」と聞かれますが、正直にいえば「なんとなく」や「A社でもB社でもどっちでもいい」が答えだったりします。でも、それっぽい理由(言い訳)を絞り出していきます。

そんなことを繰り返すたび、「理由や意味があることしかやってはいけない」という感覚が植えつけられていくように感じます。子どもの頃のように「直感で動く」ということが良くないことのように思わされていきます。周囲に理解されるような「理屈」が必要となり、嘘っぽい意味を創作することに時間がかかり、結局のところ時機を逃したり、面倒になって行動しないという着地点へ向かったり。結果、人生のターニングポイントをつくり損ねる。

「理由」が「言い訳」感を帯びて劣化していくくらいなら、手放したほうがスッキリ行動できます。

まずは「意味のないこと」をやってみることから

「人生すべてに意味がある」。

そうよくいわれますし、僕もそのとおりだと思います。

だからこそ、行動する前に「意味づけ」をする必要はなおさらありません。

意味がなさそうなことをやっても、あとから振り返れば、なんらかの意味を勝手にもってくれます。安心して、意味がなさそうなことをやっていいんです。

スティーブ・ジョブズがいう「Connecting the dots(点と点をつなぐ)」。

ランダムに置いたはずの点と点が、自分の意図しない形で意味づくりを始めていきます。仮になんの意味も生まれなかったとして、それがどうしたというのでしょうか?

「人生に意味なんてない」というつもりは毛頭ありませんが、意味を求めすぎるのもバランスが悪いように思います。

意味がないことをやってみる。これはとても余白的です。

不意に空を見上げてボーっと雲を眺めてみたり、図書館でまったく興味をもてないタイトルの本を手にとってページをめくってみたり、映えなそうな場所の写真を何枚も撮ってみたり、ノートに思いつくまま言葉や絵を書いてみたり。

意味がないことをできている自分は「余裕がある」気がしてきます。

意味がないことをやっていても、結果「余白をつくる」という意味はもってしまいます。ただ、それを目的に行動をしてしまうと、意味を求めた行動をしていることになって、余白感が得にくくなるので注意も必要です。

関連記事: