「車の運転がじょうずだったのに…」免許更新で明らかになった親の衰え【体験談】

「車の運転がじょうずだったのに…」免許更新で明らかになった親の衰え【体験談】

田舎暮らしの私にとって、移動手段としてもっとも身近なのが車です。学生のころは電車通学をしたこともありますが、田舎は電車の本数も少なく、駅同士が離れていることもあり、大人になって自分の車を持つようになってからはもっぱら車で移動しています。それは70代後半になった父も同様で、近くのコンビニに行くのにも自然に車を使ってしまうほど、車での移動が染みついています。そんな父が先日、自動車運転免許証の更新に行きました。

主な移動手段が車、という中で育った私

私が幼いころも、移動はもっぱら父の運転する車でした。親の仕事の都合で何度か引っ越しをしましたが、どこも比較的田舎であったため、電車は1時間に1本あれば良いほうで、都会に比べると本数も非常に少ない上、始発は朝遅く、終電は夜早いという状況でした。また、駅と駅の間も離れているため、歩くのも非常に困難です。バスも同様で、観光地や学校・市役所といった公共施設と駅を結ぶような限られたルートしかなく、あまり移動手段としては使用していませんでした。

また、私自身が乗り物酔いをしやすかったことも父の車による移動が主だった理由の1つでもあります。私は昔から車のにおいが苦手で、特に芳香剤のにおいがする車ではすぐに酔ってしまいました。また、父以外の人が運転する車も苦手で、頻繁に酔って吐いていました。そういった田舎事情や体質のこともあって、私にとって、「移動=父の運転する車」という構図ができあがっていました。

そんな私も大人になり、やはり田舎暮らしが続いていたため、当たり前のように自分も運転するようになり、マイカーを購入して車に乗る生活を続けて現在に至ります。

運転じょうずだった父

幼いころから慣れていたというのもあると思うのですが、乗り物酔いをしやすい私は、父の運転する車だけは唯一酔うことがありませんでした。父自身は都会で免許を取得し、若いころは都会で運転していたこともあって、運転がとてもじょうずです。また長いこと似た型の車ばかり乗っていたこともあり、車幅感覚などがしっかりしていて、狭いところでの駐車などもまったく意に介さずおこなっていました。

自分が運転するようになってから父の車に乗ると、自分が運転というものを知ったからこそ余計に、父のドライブテクニックに圧倒されたものです。また、苦手だった車庫入れや縦列駐車なども父に教わり、上達しました。視野も広くまったく危なげない運転をしていた父ですが、そんな父であってもやはり、年齢と共に少しずつ「あれ?」と思うことが増えていきました。

父自身も己の衰えに気づいてはいて、注意をしてはいたようですが、60歳を過ぎたあたりから徐々に車に擦り傷が付くようになったり、標識などをチラッと見る時間が長くなったり、「危ない!」と思うような場面が少しずつ増えていったのです。

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