出産翌日、遺伝子検査を受けることになった娘
妊娠37週を過ぎたころ、広美さんに陣痛が始まりました。
「自宅で陣痛が始まり、病院に着いて40分ほどで娘が生まれました。娘は心臓の病気のために処置をしないと呼吸が難しくなるのですが、産後数時間は大丈夫らしく、1時間ほどカンガルーケアができました。生まれたばかりの娘の顔はくしゃくしゃとした新生児ちゃんそのものでなかなか目が開かなかったので表情はわかりませんでした。でも、とてもかわいかったですし、無事に生まれてくれたことにとってもほっとしました」(広美さん)
由梨ちゃんを出産した翌日、広美さんと公一さんは医師から「これから赤ちゃんの遺伝子検査をします。結果は2週間後にわかります」と告げられます。
「医師たち複数人に囲まれた深刻な雰囲気の面談だったんですが、そのときは、娘の心臓病のためにたくさん行う検査の1つだろう、と夫婦そろって深く考えていなかったんです。その後、NICUの娘のところへ行ったときに、娘の顔を改めて見て『おや?』と違和感を覚えました。
私も夫も、それまで少しもダウン症の可能性を考えていませんでした。でもその瞬間、2人して『きっとこの子はダウン症なんだ、だから検査をしたんだ』と思いました。目がほとんど開かないし、うっすらあいたまぶたから見える目は、視線が安定しない様子で、長男のころとは違う感じがしたんです」(広美さん)
「ダウン症かもしれない」と気づき、涙が止まらなかった
「娘はダウン症があるかもしれない」と気づいた広美さんは、ネットでその特徴などを調べました。
「『ダウン症候群』とネットで検索して、特徴を読んでみると、そのほとんどが娘の様子に当てはまったのです。涙が止まりませんでした。心臓の病気は手術すれば治ると思っていたけれど、さらに障害もあるかもしれないなんて。どうやって育てていけばいいのか、ただただ不安ばかりで、病院のベッドでずっと泣いていました」(広美さん)
由梨ちゃんにダウン症があるかもしれないとなり、公一さんもかなり動揺していました。
「夫は自分の手術のこともあって精神的にかなり不安定な時期でした。私が産後退院してまもなく、娘の心臓手術の同意書にサインをして提出しなくてはいけなかったのですが、夫はその書類にサインすることもためらっていました。夫は『障害がある子を育てるなんて自分たちにできるんだろうか』と思いつめていました。
夫とは話し合いもままならないほど、お互い絶望感に襲われていました。私は産後すぐに毎日通院する生活の疲労もあり、これから一体どうすればいいのかと途方に暮れていました。夫婦で一緒にこの子を育てられないとしたら、離婚をすべきか、この子の里親を探すのか・・・などあれこれ考えてみるものの、考えがまとまるわけもありません。思考を停止して、3時間おきに搾乳して入院中の娘に届ける、ただそのことを繰り返していたように思います」(広美さん)
悩んでいた広美さんは、由梨ちゃんが生後2週間ほどでNICUからハイケア病棟に移ったころに院内のソーシャルワーカーに出会います。
「家族の問題をだれかに聞いてほしかったけれど、だれに相談したらいいかまったく思いつきませんでした。そんなとき、院内巡回していたソーシャルワーカーさんが、何気なく話しかけてくれたんです。私は娘のことや夫のこと、そのとき抱えていた悩みすべてを話すことができました。ソーシャルワーカーさんが話を聞いてくれ、心が救われました。夫とどう話し合えばいいかのアドバイスももらい、娘の手術の同意書にもサインすることができました」(広美さん)
配信: たまひよONLINE