心臓の手術は成功。娘のペースでゆっくり成長してきた
由梨ちゃんは生後2カ月のときに1回目の手術を受けました。
「1回目の手術はシャント手術といって、チアノーゼの症状を緩和する手術でした。手術後に娘は鼻管がついたまま退院し、在宅酸素療法を半年続けました。月に数回の外来では、抱っこひもで娘を抱え、酸素ボンベを背負って通っていました。
その後、生後8カ月のときに、心臓の根治手術を受けました。8時間ほどかかった手術は無事に成功。手術後、酸素療法は終わり、娘の首がすわりはじめるなど、成長を感じることができました。
夫の手術も無事に済んで、一緒に暮らすうちに、夫も少しずつ娘に障害があることを受け入れていったようでした」(広美さん)
心臓の根治手術をしたあとの由梨ちゃんについて「すっかり病気の子という印象はなくなった」と広美さんは言います。
「ダウン症があるために成長発達はゆっくりでしたし、療育センターでのサポートは必要でした。たとえば歩くための練習で理学療法士の指導を受けに通ったり、食べる際に丸飲みしてしまう傾向があったので、そしゃくして飲み込む訓練が必要で、摂食外来に通ったりしました。風邪などで体調を崩すと長引くなど、体調管理の大変さもありました。それでも、流産の危機や心臓病の手術を乗り越えた娘が、少しずつ成長してくれていることを、とてもうれしく感じていました。
根治手術から半年後に医師から集団生活の許可が出て、私も仕事復帰をめざして保育園探しを開始、ちょうど自宅近くに新しく障害児も受け入れてくれる保育園が開園し、無事入園できました。翌年には、長男と同じ保育園に転園しました」(広美さん)
由梨ちゃんは今、9歳になりました。慶一くんと同じ小学校の、個別支援学級に通っています。
「娘は今、小学3年生ですが、まだおしゃべりはできません。コミュニケーションは、なんとなく、伝わっているのかな、という感じです。
私は娘と出会うまでの人生で、障害がある人とあまり触れ合ったことがなく、身近に感じていませんでした。ダウン症のある娘の子育てに不安はたくさんありましたが、私の場合は『不安を減らすには知ること』だったので、ネットや本を調べまくり、支援してくださる方々に質問をしては、少しずつ不安を解消してきたと思います。娘を育てる中で、常に弱い立場やマイノリティーの人の状況に思いをはせるようになったのが、自分にとって大きな価値観の変化になったと感じます」(広美さん)
障害児の親も働きたい、と声を上げたい
ダウン症のある由梨ちゃんを育てる中で、広美さんは障害児の親が働くことに課題を感じたそうです。
「娘の障害を知る医療関係者や役所の窓口の人などから『無理に働かなくていい』というアドバイスをたくさんされました。きっと母親を追いつめないための厚意からの声だったんだと思います。でもそう言われるたびに『障害児の母は働くべきではないのだろうか』と悩み、『働きたい』と言い出しにくくなりました。
私と同じような状況で仕事を辞めたママ友もいます。そして、障害のある子を育てるママたちからは『仕事を辞めて後悔している』という声もよく聞きます。仕事をしながら障害のある子を育てることは、もちろん大変なこともあります。でも自分にとって働くことは、育児と同じくらい重要なことでしたし、職場の理解にも恵まれ、これまで仕事を続けることができました。
障害児の親もためらわず仕事を続けることができるように、当事者が声を上げやすい環境が大事だと思います」(広美さん)
お話・写真提供/中山広美さん、取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
広美さんは書籍編集者として今も働いています。「本という形でメッセージを発信できる場所にいる間は、自分の使命と思って、障害や病気に関するテーマは意識的に扱っていきたいと思う」と話してくれました。
由梨ちゃんのダウン症を受け止めて寄り添って、育児に仕事にほん走する広美さん。そんな中、長男の慶一くんが小児がんと診断されます。インタビューの2回目は、慶一くんの小児脳腫瘍の闘病について聞きました。
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●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年10月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
配信: たまひよONLINE
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