●警察情報だけで成り立つ構造的欠陥が放置されたまま
別の問題もある。
大手の新聞社やテレビ局の場合、拠点都市では、警察、検察、裁判所ごとに担当する記者が異なる場合が多い。そのため、同じ事件でも発生から逮捕、起訴、公判、判決(場合によっては受刑・出所後も)という一連のプロセスを一貫して取材する仕組みになっていない。
端的に言えば、逮捕時と裁判を違う記者が取材している現状がある。警察担当の「逮捕」報道は、いわば書きっぱなし。その点も高田さんは問題視している。
「本来、記者の役割は警察の捜査が適正に行われているかをチェックすることが第一ではないでしょうか。しかし現実は、犯行の動機や態様など細々した捜査情報を競って入手し、捜査員と二人三脚で犯人探しをするような報道を続けています。ペンを持ったおまわりさんと言われるのも納得の世界になっている。
袴田さんの事件が起きた1960年代から、この基本構造は変わっていません。容疑者側の言い分を取材できない状況下で、警察側のリークや発表に基づいて集中豪雨的に報道する。つまり、片方の言い分だけで報道が成り立っているという構造的な欠陥も長年放置されたままです」
●記者クラブは本来「捜査の問題に目を光らせる拠点」
袴田さんが逮捕された後の1966年9月12日の朝刊で静岡新聞は、事件の取材にあたった記者たちによる座談会の内容を大きな記事で紹介している。そこでは、捜査情報をつかむため警察を必死に追いかけ回る取材の一端が明かされている。
<捜査主脳部が夜おそく帰宅する前に自宅付近に待機して、情報をさぐったり、早朝の奇襲はほとんど毎日のようだった>
<本社からは目新しいニュースをとの矢の催促‥‥‥。しかし一線の取材は警察のひたかくしにあってキリキリ舞い。事件記者の苦心を骨のズイまで知らされたのがこの事件だった>
捜査情報を聞き出したり独自取材で得た情報の裏取りをしたりするために、記者は早朝や夜遅くに捜査関係者の自宅や通勤路を訪れることがよくある。こうした取材手法は内部で「朝駆(あさが)け」「夜討(よう)ち」と呼ばれ、今も普通に行われている。
高田さんは「夜討ち朝駆け」という取材方法や記者クラブの存在自体を必ずしも全否定しないが、実際に記者が社会から求められている役割を果たせていないことに危機感を抱いている。
「捜査の途中でおかしいと思うことがあれば、記者は報じる。捜査が適法、適正に行われているかどうか。そこに目を光らせるのが警察担当記者の役割であり、その情報を取りに行く拠点として記者クラブはあるはずです。しかし、実態はそうなっていません。担当記者は警察に寄りかかって二人三脚を崩さず、壮大な広報係になっています。」
配信: 弁護士ドットコム