霜降り明星のせいやさんが我と同じ小学校で同じ中学で高校だと知った。世代は違うけど勝手に親近感を覚えて、ストーカー並みに調べてたら、同じ駅の団地に住んでたことも判明。「すげー! 団地まで同じってヤバない?」てテンション上がったけど、間取りが全然違って、「なーんだ! 同じ地区にあるもう一方の団地か、チッ!」とちょっとがっかりしました。
我が子供の頃住んでた団地は全部で50棟以上あるいわゆるマンモス団地で、そこだけでまるで小さな街のよう。団塊世代の家族が中心に入居していたため、同い年くらいの子供が多く、色んな奴がいてカオスでした。
同じ棟に梶野(仮名)という同級生の子が居た。着ている服も文房具も図工の時間に描く絵もみんな救急車。「ピーポー ピーポー」と走り回る彼は、団地の有名人で「ピーポー梶野」と呼ばれてた。
小学2年の春、「ピーポー ピーポー」とサイレンがこだましてリアル救急車がやってきた。近所の人たちが「何事か?」と集まりだした中、梶野がパジャマ姿のまま飛び出してきた。お爺ちゃんが担架で運ばれ救急車に乗り込む所だった。梶野は人混みを掻き分けてお爺ちゃんの枕元まで行って興奮しながら言った。
「すげぇ、本物だ、カッコいいー! お爺ちゃん、僕も救急車に乗っていい? お願い!」
「うう……君は救急車が好きやもんな……ええよ。」お爺ちゃんは、か細い声で許可した。
大人たちの制止を振り切り、梶野の夢を乗せて救急車は発進した。「ピーポー ピーポー」。ところが病院に搬送される途中でお爺ちゃんの容態が急変、はしゃぐ梶野の横で生死を彷徨った。
帰宅後、梶野は親からめちゃくちゃ叱られ、集めていた救急車グッズを全部捨てられてしまった。その日を境に梶野は救急車の話を一切しなくなったのだ。
イラスト:スギム
別の棟にはサダッパと言うあだ名の同級生がいた。
家が特に貧乏だったサダッパは、親から服を買ってもらえず年がら年中、短パンとTシャツ姿。寒くなるとお父さんのお古のジャンバーを着せてもらっていた。そのジャンパーは小学生が着るような可愛らしいポップなデザインではなく、おっさんが競艇とかに着て行くような渋い茶色をしていて、素材もテロテロのナイロン。防寒着としての機能をほとんど果たしていなかった。だけどサダッパは「お父さんが着てたやつやから」と大切にしてた。そんなサダッパのジャンパーをみんなは「おっさんジャンパー」と言ってからかった。
小学2年の冬、団地の子供達を牛耳るガキ大将のタケシ君の家に我とサダッパで遊びに行った時のこと。最初はトランプをしてたんだけど、お母さんが買い物に出掛けたのをきっかけに、タケシ君が「トランプ止め! にらめっこにしよう」と言い出した。
「普通にやっても面白くないから牛乳を口に含んでやるぞ!」
タケシ君には逆らえない。タケシ君とサダッパが向かい合ってにらめっこが始まった。タケシ君はわざと負けてサダッパに牛乳を「ブー!」とぶっかける。次の勝負も、その次もわざと負けるので、サダッパのジャンバーは牛乳まみれになってしまった。タケシ君が腹を抱えて笑う中「このままじゃ帰れないよー」とサダッパが泣きべそをかいたので乾かすことに。
イラスト:スギム
タケシ君の家には大きな石油ストーブがあり、小さな弟やペットの猫が近づかないように網で囲っていた。そこにジャンパーを掛けた。
サダッパはほとんど風呂に入っておらず、洗濯もしてなくて臭かった。ジャンパーから白濁した汁がポタポタと垂れ落ち、ストーブの熱でモクモクと大量の湯気が出だした。
窓を閉め切ったポカポカした部屋に、香ばしいサダッパ臭と牛乳のいなたさが混じった強烈な臭気が充満してまるでパープルヘイズ。意識が遠のいていくようだ。小学生にして初のトリップ体験で、頭がボーーッとなりながらもトランプを続けた。
しばらくして突然、タケシ君が大声で叫んだ。
「おい! 火だ! 燃えてる!」
ストーブの方を見ると、干していたジャンバーから火が出て炎は天井にまで達していた。
パニックになりながら「火事だ! 火事だーーー!」と大声で叫んだ。
その声を聞いた近所のおじさんが消火器を持って駆け込んで来て、幸いにもすぐに鎮火できたけど、暫くして「ウーーー ウーーーー」と消防車がやってきた。
大変だ、どうしよう? 大騒ぎになってしまった。これは絶対に先生に叱られるやつだ。とにかく消防隊員に事情を説明して謝ろうと外に出たら、すでに大勢の人だかりができていた。
春に救急車で運ばれたあのお爺ちゃんの姿もあった。すっかり元気になっていた。
「消防車に乗りたい、お願い!」と消防隊員を捕まえて離さない奴が。お、お前、救急車から消防車に推し変してたんか? ピーポー梶野だ。
赤色回転灯がぐるぐる回る中、野次馬でごった返してまるで祭りのようだった。
イラスト:スギム
大騒ぎの末、残ったんはジャンバーの燃えカス。「大事に至らずによかったね」とみんなが安堵の表情を浮かべる中、サダッパは物悲しい目で佇み、燃えカスをいつまでも眺めてた。あの時の目を我は一生忘れない。
後日、タケシ君のお母さんがサダッパに新しい上着をプレゼントした。けれどサダッパは一度も袖を通すことなく、寒い冬を短パンとTシャツだけで乗り切った。「お父さんのジャンパーの代わりなんて無いぞ!」という強い意思表示だったのかもしれない。
もう半世紀近く前で、コンプラやジェンダー平等などあってなかったような時代だ。みんなそこそこ貧乏だし、何もかもアナログで不便で、虐めや体罰など悪い部分は確かにあったけど、同じ団地に住んでる人はみんな家族みたいで、調味料の貸し借りがあったり、近所のおじさんに釣りに連れて行ってもらったりと、今となっては失われてしまった昭和のいい部分もたくさんあった。
我が過ごした団地は老朽化で10年ほど前に全棟取り壊しとなって今では跡形もない。今回このエッセイを書くに辺り、情報や写真がネットにあがってるかな? とググってみたけど何もヒットしなかった。過去に存在したローカル団地なんて誰も興味を持たないのだろう。
今頃 みんなは何してるんだろう? 懐かしむこともあるけど連絡の取りようもないし、会っても誰だか分からないだろう。団地での生活を忘れてる人や、忘れたい人もきっと居る。だからもういいんだ。それぞれの思い出の中であの団地が生き続ければ。目を閉じて浮かんでくる光景では、いつまでもあの頃のまま。みんな少年少女のまま。
「ヤベェ、もう夕食の時間だ。早く帰らないとお母さんに叱られるー!」
それではここで1曲。我のように過去を懐かしんでばかりの人たちへ捧げます。
クリトリック・リスで「老害末期衝動」。
配信: 幻冬舎Plus
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