なぜ夫婦問題の専門家に!?専業主婦から自分の得意を活かして起業家に!

なぜ夫婦問題の専門家に!?専業主婦から自分の得意を活かして起業家に!

いまでこそ夫婦共働きは珍しくありませんが、1980年代~90年代前半ごろまでの日本では、妻は専業主婦であることが一般的でした(専業主婦世帯と共働き世帯の割合が初めて逆転したのは1991年、その後1997年からは完全に逆転しています)。

恋人・夫婦仲相談所の所長として、テレビにWEB、雑誌とさまざまなメディアで活躍する三松真由美さんは、そんな妻=専業主婦という意識が強かった時代に、なんと起業家へ転身しました。

近年、デジタル技術の発展によって「主婦が自分の得意を活かして起業」するケースも増えてきましたが、三松さんの起業も当時最新の技術であった“インターネット”に助けられ成長したのだとか。

起業を考えている人はもちろん、新たな一歩を踏み出そうと考えている女性必見のインタビューをお届けします!

<プロフィール>
三松真由美さん
恋人・夫婦仲相談所 所長 執筆家
専業主婦時代にママサークルを主催してから34歳で起業。会社を友人に譲ったのちに「恋人・夫婦仲相談所」を立ち上げ、夫婦仲に関する本を数多く出版。61歳で、フェムテック関係の会社を創業。日本フェムテック協会顧問。セックスレス改善提案に定評がある。2024年に恋人・夫婦仲相談所のオウンドメディア『トキメキ』始動。相談事例をショートドラマで配信、若手後継者とのYouTube配信など時代に合わせて女性の悩みに寄り添い続ける。

寂しかった一人育児から「トレンディなママたちと起業」へ

三松さんが子育てに励んだのはバブル時代の後半頃。「子どもが小さいうちは家にいましょう」という「三歳児神話」があり、四大卒で上場企業に勤めている人も、結婚したら専業主婦になる人が多かった時代でした。中学校の教師を辞め、ワンオペ育児をスタートしたものの一人での育児に強い寂しさを感じていました。そんなとき、雑誌でママサークルの存在を知り「ここにいけばいいんだ!」とママサークルへ。すると、すごく寂しさがまぎれたのだとか。

いくつかサークルに参加したところ、どのサークルも子どもの話が中心であることに気づきます。「それはそれで大事だが、ちょっと待てよ」と感じた三松さん。ママ自身の話を深掘りしてみると、当時の「トレンディ」という言葉がぴったりの大企業に勤めていたママたちばかりだったのです。

でも、みんな仕事をやめて専業主婦。「こんなにトレンディで賢い、アクティブなママがいっぱいいるのなら、スポットライトをママ側に当てるようなサークルができないか」と思ったそう。そして1991年に生まれたのが、全国数千人規模まで拡大し、一世を風靡したサークル「BBB(ベイ・ブリッジ・ベイビーズ)」でした。

BBBに保育士や幼稚園教諭などの有資格者を中心とした託児セクションができると、多くのママたちがそれまでのキャリアを活かし輝きだしました。企業が主催するような託児つきのクラシックコンサートを始めとするイベントを、ママサークルだけで実施することができるように!

そのうち、BBBへ企業からマーケティングリサーチのためのアンケート調査の依頼がバンバン来るように。返信用封筒を入れたアンケートを全国のメンバーに送り、回答してもらいます。もちろん発送作業もメンバーが担当。調査を依頼された専業主婦のメンバーたちは「図書券がもらえた」「座談会で8,000円もらえた」と謝礼がもらえることはもちろん、社会に関わるやりがいも感じ、企業もトレンディなママたちの声が聞けてWin-Winです。

三松さんは会長だから図書券をちょっと多めにもらうくらいで、ビジネスにはなっていなかったんだとか。そんなとき、大手広告代理店に勤めていたメンバーが「真由美会長、これは広告代理店でやるとウン百万円の仕事です!」と教えてくれ、驚愕。

そこから起業への道を歩み始めることになり、1995年5月に株式会社エムネットジャパンを設立しました。

時代の波に乗り苦手なのに「IT起業家」に

BBBの活動を開始してから数年後、日本でもインターネット時代の幕が開けます。大手IT企業の社長に、「君の持っているネットワークをデジタル化しないか?」と言われ、最初は意味がわからなかったそう。「これからインターネットの時代がくるから」と、1996年3月に女性向けウェブサイト「ぷらっとプラネット」を開設。立ち上げて2カ月後には、月26万件ものアクセスが。そこからは、時代の波に乗り、右肩上がりでした。

大手IT企業に勤めていた、SEやプログラマーなどの主婦もいたため、在宅でITの仕事をすることが可能。名だたる大手のインターネット事業部から声がかかってサイトを作ったり、掲示板パトロールなどの仕事を請け負ったりなどもしたそう。

それとともに、当時SOHO(Small Office Home Office)という言葉が流行り始めて、「真由美社長はSOHOの代表だ」と言われだしました。「雑誌でもたくさん紹介され、家で仕事をしたい主婦が集まり、どんどん会社が大きくなった。追い風だった」と三松さんは語ります。

でも、本来自分はITが苦手、パソコンが苦手、当時「添付ファイルもどうやって送るの?」状態。それなのに、講演会では「IT起業家真由美社長」と紹介され、IT起業家としてとらえられ、違和感を覚えるようになっていきました。

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