タレント、グラビアアイドルとして活躍する熊田曜子さん。プライベートでは2023年の春に離婚を発表し、現在はシングルマザーとして、3人の女の子のママでもあります。シングルマザーという道を選んだ当時の気持ち、そして体型の管理や仕事にもいかされているというポールダンスについて聞きました。全2回インタビューの後編です。
一度はお休みしていたグラビア。子育てする中で自分の好きなことをしたいと復帰
――母親になって、自分の中で変わったなと思うところはありますか?
熊田曜子さん(以下敬称略) もともと、ちょっとでも時間があったら、何かしていたいタイプだったんですけど、それがより強くなりましたね。一気にまとめてやることが増えました。たとえば、廊下を一度歩くだけでも、右手で何かをしながら、左手で落ちているものを拾ったりと、2つのことが同時にできるようになりましたね。
子どもが増えるにつれて、その傾向が強くなりました。1人を抱っこしながら、もう1人をトントンして、3人目になると、どこかママに触れていたいだろうからと、足まで使うように(笑)
以前は子どもたちとベッドで寝ていたんですが、みんながママの横がいいと言ってくれるので私が真ん中になると、必ずベッドから落ちちゃう子がいるんです。それで、布団を何枚も敷いたほうがいいということがわかって、それからは和室に布団を敷いてみんなで川の字で寝ています。
――グラビアの仕事も長くされていますが、仕事に対しての考え方も変わりましたか?
熊田 グラビアの仕事は、ずっと続けたいと公言はしているのですが、実は、長女を出産したあとにお休みをしているんです。そのとき、「育児はこうであるべき」とか「母親はこうであるべき」と、自分自身で決めつけてしまっていたところがあって。母親たるもの、水着で仕事をするなんてありえないと、自分の中でそういう思いがあったので、グラビアはいっさいしていなかったんです。
ただ、2人目を産んだあとに、「〇〇ちゃんのママ」とか「〇〇さんの奥さん」としか呼ばれなくなってきて、そこから、自分の人生について再び考え始めました。子育てって、子どもたちがひとり立ちすることがゴールだと思っているので、それぞれが20歳を越えれば、いったん親の役目は終わりかなと思うんです。じゃあ、そのあとの人生をどうするんだろう・・・と思ったときに、自分のやりたいことをやっていきたいなと。私にとってのそれは、大好きなグラビアだったんですね。それで、2人目を出産したあとから、またグラビアに復帰させてもらいました。
――グラビアタレントとして、体型にはかなり気をつかっていると思いますが、妊娠や出産を経験して体型に変化はありましたか?
熊田 だいぶ変化しましたね。長女を妊娠したときは16キロ、二女は14キロ、三女は18キロまで増えました。でも、その戻し方も、子どもたちが本当に親孝行だと思うんですけど、完全母乳だとカロリー消費がとにかくすごいんです。
多いときは、700キロカロリーも吸ってくれるみたいで、それって、ジムに行って頑張って2時間ぐらい走っても消費できないぐらいのカロリー。だから、体型を戻せたのは、子どもたちが頑張って授乳につき合ってくれたからなんだと思っています。
ただ、すぐには戻らないので、妊娠期間の10カ月と同じぐらいの期間をかけて戻していきました。あとは、離乳食が始まると、子どもたちが食べればそれだけ、必要な母乳の量も減っていくので、その分を計算して、調整しながら食べていました。
それから、夜中におなかがすいて何度か起きても、夜食を食べることは絶対にしなかったですね。そこを解禁してしまうと、胃袋が夜中もずっと働いてしまうので、そこは気をつけていました。
あとは、姿勢もすごく大事なんです。授乳をすると、どうしても猫背になってしまいがちなので、骨盤を立てるような体勢で、腹筋を使っていることを意識しながら授乳をしていました。ひざと腕の間に厚みのあるクッションを置いて、赤ちゃんの頭の位置を少し上げると、おっぱいも引っ張られないので伸びないんですよ。それに、赤ちゃんもしっかりパクッと乳首をくわえられるんですね。
あとは、椅子に座って授乳するときに、足の高さをあげると自然と赤ちゃんの位置も上がるので、足元に辞書のような厚みのあるものを置いて、そこに足をのせていました。
こんな感じで、「子育ても全部、エクササイズだ」と発想を転換してやっていました。「抱っこ!」と言われたら、こんなにかわいいウエイトはないなと思っていましたね。抱っこも、私が右利きなので、左の腰に当てて抱っこしてしまう癖があったんですが、何もすることがなかったら、右側で抱っこをするようにするなど、左右の抱っこを意識していました。授乳も抱っこの際も、左右のバランスには気をつけていましたね。
離婚をしても、3人にとってのママとパパはずっと変わらないよと伝えた
――シングルマザーを選択したときの、熊田さんの気持ちや、子どもたちの様子はどうでしたか?
熊田 昨年の春に、正式に離婚をしたのですが、その前から別居をしていたので、離婚をしたからと言って、大きくは変わっていないです。子どもたちは私と一緒に住んでいて、定期的にパパに会っています。
元夫とは、今も連絡を頻繁に取っていますね。子どもたちの学校のことを話したり、イベントごとには必ず来てもらうので、それを連絡している感じです。
子どもたちに対しては、「これから先も世界に1人だけのパパだから、会いたいときにいつでも会いに行っていいよ」と話しています。行きたかったら行けばいいし、嫌だったらすぐに迎えにいくから、自由に選んでほしいと思っているんです。
子どもたちには、離婚についてもきちんと話しました。「ママとパパは結婚して一緒に暮らしていたけど、大きなけんかをしちゃって、ママとパパは夫婦ではなくなったの。でも、あなたたちのママとパパであることは変わりないから、何かあったら、ママでもいいしパパでもいいし、パパ方のおじいちゃんおばあちゃんも、だれに相談してもいいんだよ」と伝えています。
――熊田さん自身も母子家庭で育ったということで、お母さまとの関係で思うところはありますか?
熊田 パパとママが同じ屋根の下で子育てするのがいい形だとは思います。私も母も、それを理想にして生きてきたのですが、結果的にダメになってしまったんですよね。母の背中を見てきて思うのは、シングルマザーになるということは、家のことと稼ぐことの両方を1人でこなさなければならず、とてもハードだということです。
母は、正社員で朝から晩まで働いて、ごはんだけ作りに帰って、また仕事に行ってしまうような生活だったんです。だから、私たちの入学式や卒業式、運動会などにはいっさい来られませんでした。でも、母が一生懸命に働いているとわかっていたので、寂しいとは思わなかったです。そして、その代わりなのか、今は孫たちのイベントにすべて参加してくれています。
母は1人で私と兄を育ててくれたんですが、私の場合は母がしっかりサポートをしてくれるので、それは本当にありがたいですね。
――娘さんたちへの性教育を考えることはありますか?
熊田 ママあるあるだと思うんですけど、後追いとかがすごくて、トイレを開けっぱなしでせざるを得なくて。それが3人続いていたので、何年か開けっぱなしにしていたんです。それで、生理でトイレが赤く染まっているときに、娘たちに「えっ!」とびっくりされました。そこで、「これはね、月に1回ぐらいあるんだけど、全然痛くないんだよ。赤ちゃんを包むはずの袋だったものが、赤ちゃんがいないから、じゃあもういりませんねと言って出てきただけ。みんなも赤ちゃんが産めるような年齢になったら、こういうことがあるんだよ」と伝えました。
ただ、うちで生理のことを話すのが当たり前だったからこそ、子どもたちがママが生理中だと他人にポロッと話してしまったときに、そのあたりのことをきちんと伝えていなかったなと後悔しました。
その後子どもたちには、「生理のことは、家族の中ではいいけど、家族じゃない人には、ナイーブな話だから、あまり言わないでね」と伝えました。
あとは、おふろ入るときも、水鉄砲でおっぱいやおしりに当てる遊びをしていたのですが、「それはもうやめようね」と。そのときに私の仕事についても説明したのですが、「水着で隠れているところはすごく大事なところで、そこをあなたが触ってもいけないし、触ってくる人がいてもおかしいから、そういうことがあったらすぐに教えてね」と言いました。子どもたちは「わかった」と理解してくれましたね。
配信: たまひよONLINE