吉永小百合さん主演で映画化された『いのちの停車場』のシリーズ3作目『いのちの波止場』。主人公は広瀬すずさんが演じた看護師・麻世。彼女は能登半島の穴水にある病院で、「緩和ケア」について学んでいきます。モルヒネ、ICD、胃瘻……。医療スタッフと患者、その家族たちのリアルで切実な問題を本文よりご紹介します。
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両親の見舞いを頑なに拒む、48歳の末期肺癌の男性。
第四章 キリコの別れ
48歳の茂は、穴水町の移住定住サポート窓口を通じて5年前に移り住んできた。しかし、末期の肺癌で今は緩和ケア病棟に入っている。両親が見舞いに訪れたが、彼はがんとして拒絶する。麻世はなんとか面会を実現しようとするが、彼らの間には大きな断絶があった。
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「あの、古谷さんのご両親が病棟にいらっしゃっていますが……」
返事がなかった。パソコンを見たままの姿勢も変わらない。茂さんはリザーバーマスクという袋付きの酸素吸入装置で高濃度の酸素を鼻から吸っている。もしかして吸気の流れる音がうるさくて聞こえなかったのだろうか。「古谷さんのご両親が来ています」と大声で繰り返した。
「拒否って書いたはずですが?」
顔を上げることもなく、茂さんからはそっけない声が返ってきた。
「あ、すみません。それは承知していますが、念のためにと思いまして」茂さんはパソコンを閉じ、憮然とした表情で私を見た。
「看護師さん、あのリスト、僕は何のために書かされたんですか? いちいち確認は不要ですから」
まさに正論だった。病院は患者さんの意向に従うのが原則だ。「失礼しました」と一礼し、ばつの悪い思いで部屋を出る。
ナースステーションへ引き返しながら、茂さんのご両親に「患者が拒否」と伝えるしかないと覚悟した。しかしそれは、ひどく気が重かった。
「……お待たせしました。やはりお気持ちは変わらないようです」
「何を考えているのやら」
母親が、大きくため息をついた。
「看護婦さん、あの子は昔から変わっておりまして」
その言葉を制するように、父親が「もう、放っておけ」と言葉をかぶせる。
「兄や弟は普通に育っているのですが、あの子だけなんです。おかしな子になってしもて ──」
受付の前では、ほかの患者さんのもとを訪ねるご家族の出入りが続いていた。
「お手数をおかけしますが、これ、茂に渡してください」と菓子折りを置き、二人はゆっくりと病棟を去っていった。
配信: 幻冬舎Plus
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