吉永小百合さん主演で映画化された『いのちの停車場』のシリーズ3作目『いのちの波止場』。主人公は広瀬すずさんが演じた看護師・麻世。彼女は能登半島の穴水にある病院で、「緩和ケア」について学んでいきます。モルヒネ、ICD、胃瘻……。医療スタッフと患者、その家族たちのリアルで切実な問題を本文よりご紹介します。
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カンファレンスに出席する、膵臓癌ターミナルの70歳の医師。
第五章 内浦の凪
麻世の恩師である仙川が入院してきた。膵臓癌のターミナルだという。命の終わりが見えてもいつも楽しそうにしている仙川。麻世は悲しみを堪えて精一杯の献身をし、たくさんの教えを受け止める。ある日、自らの「最期のこと」がトピックになるカンファレンスに、仙川が出席したいと申し出る。
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「今日は、患者さんご本人がカンファレンスに参加されるという貴重な機会になりました。緩和ケア科を代表して改めてお礼の言葉を申し上げます」仙川先生は照れくさそうな笑顔で敬礼する。
「我々が目指すのは、心地よく生ききるための医療です。心地よく死ぬための医療、という言い方もできるかもしれませんが、同じことです」
死ぬための医療──北島先生の言葉に、会場全体が静まり返った。
「人が生まれるときに産科がサポートするように、死ぬときもサポートが必要です。自然現象だからと放置すれば、何が起きるか分かりません。つまり、死は自然の営みではあっても、何もせずに放っておけばいいというわけではない。より苦痛なく死を全うできるよう、患者さんを支えるために緩和ケアがあるのです。これからも、患者さんから謙虚に学んでいきましょう。仙川先生、このたびは患者さんの立場から私たちスタッフに学ぶ機会をくださいまして、ありがとうございました」
仙川先生は真顔になって手を挙げ、再びマイクを握る。
「こちらこそ、カンファレンスへ出席させていただき感謝しています。最後に、臨床医としての私の経験もほんの少しお話しさせてください。医療用麻薬について、です。一九九〇年代の医師たちの多くは麻薬に偏見があり、患者が死ぬ直前、本当に苦しくなってから、やっと使っていました。苦痛は耐えるべきもの、という扱いをしていた時代も長く続いた……。けれど二〇〇〇年代後半に入り、日本でも苦痛を最小限にするように加減しながら使うのが一般的となりました。さらに海外に目を転じると、身体的苦痛のみならず精神的苦痛のある患者への使用を認めている国もあります」
仙川先生は何度も息継ぎをするようにして、言葉を続ける。
「さて、仮に緩和治療の副作用によって呼吸停止が起き、死期が早まる可能性があっても、苦痛緩和を目的とするなら麻薬の使用は間違ってはいません。それについては、自信と確信を持ってください。私のような患者たちは、『まずは苦痛から解放してほしい』と願っている。救いの手を痛切に求めているのです。最期まで、どうか皆さん、最期まで苦しくないように、よろしくお願いします」
仙川先生がマイクを膝に置いたとたん、大きな拍手が会議室を包み込んだ。
心の中で、仙川先生の奥さんのことが思い返された。先生の今日の話には、乳癌の苦痛から自死に至った奥さんに疼痛緩和のアプローチができなかった悔しさがにじみ出ているようにも感じた。それにしても、カンファレンスの終わりに涙が止まらなかった経験は初めてだった。
配信: 幻冬舎Plus
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