「日本の伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されたというニュースがありました。「和食」もすでに登録されていますし、日本の食を見直す、素晴らしい機会をいただいたなと思います。
今は新米のおいしい季節ですが、『神様と暮らす12カ月 運のいい人が四季折々にやっていること』では、お米を丁寧に炊き、おいしくいただくことが、「運気のアップ」に役立つそうです。神主の桃虚さんは本書の中で、こんなふうに書いています。
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新米を神様と一緒に食べる
ユネスコの無形文化遺産にも登録された「和食」。いろいろな素材を、できるだけそのままの風味を生かして、見目麗しく、すこしずつたくさん並べる、というその特徴は、神饌料理(しんせんりょうり)に源流を見ることができます。
神饌というのは神様へお供えする食べ物のことですが、古式ではこれを素材のままお供えするのではなく、料理していました。これが「神饌料理」です。
神事では、まず「饌献(けんせん)」と言って、神饌がお供えされます。それから祝詞(のりと)を奏上し、舞や神楽を奉納します。これらが済むと、「饌撤(てっせん)」として、お供えした神饌が下げられます。この献饌から撤饌までのあいだに、神様が神饌を食べたことになります。
その後、下ろされた神饌を肴に、参列者が飲み食いをする「直会(なおらい)」がはじまります。直会をすることによって、神様と人とが同じ料理を食べるのです。これは、神と人とが親しく交流するために、とても大事なこと。人と人でも、まずは「ごはん食べにいきませんか」から親しい交際が始まります。神と人との交流も、同じなのです。
現在では、料理された神饌と、素材のままを盛り合わせた神饌が、お祭りによって使い分けられたりしていますが、「神様と人とが、同じ物を食べる」という概念は、古式と変わりません。
神饌料理は、人々の神様に対する感謝と願いが込められています。それを表現するためには、見た目に美しくなければなりません。神饌料理は、色よく、形よく、高く盛る。
”神様映え”するように作られたのです。
(イラスト:宮下 和)
「神様とごはんを食べる」ことは、神社での神事だけで行われているわけではありません。
一般の家庭でも、食事の前にごくふつうに「いただきます」と言いますよね。
八百万の神様たちとともにごはんを食べ、風土のめぐみをいただいている、という心の表れです。
いつもの家の食事で、ごはんを茶碗に盛り付けるという行為にも、実は「神様映え」が要求されていて、「見栄えをよくする」「ととのえる」ことが大事、という意識がどこかにあるのですよね。
「そういえば、子どものころ、親にごはんのよそい方についてうるさく言われたなあ」と、懐かしく思い出される方も多いかもしれません。ごはんを「よそう」という動作は、たんに米のかたまりを移動させて器に入れる、という行為ではなく、つやっとしたお米をふんわりと、形よく入れる、という意味です。それが「装う」ということだから、べちゃっとよそったり、しゃもじを茶碗にこすりつけたりすると、親に怒られたのですね。
毎日のごはんにおいて、知らず知らずのうちに「神様映え」を追求している日本人。そのことが、世界無形遺産にもなった和食の見た目の美しさと、日本人の美意識に大きく関係しているように思います。
配信: 幻冬舎Plus
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