声優・金田朋子。流産を乗り越えて、44歳で長女を出産。私の武器はただ一つ。「できるママ」をあきらめても唯一娘に誇れるもの

声優・金田朋子。流産を乗り越えて、44歳で長女を出産。私の武器はただ一つ。「できるママ」をあきらめても唯一娘に誇れるもの

声優・タレントとして活躍する金田朋子さん。44歳のときに、娘・千笑(ちえ)ちゃんを出産し、番組や自身のYouTubeチャンネルでは、いつでもニコニコで元気なママの顔を見せています。2024年7月には、同じくタレントの森渉(もりわたる)さんと離婚を発表したことも話題に。44歳での高齢出産のこと、また、小学校1年生になった娘さんとの向き合い方について聞きました。
全2回インタビューの前編です。

ママとパパの姿を見て、娘はチャレンジすることが好きな子に

――娘さんとの現在の生活について教えてください。

金田さん(以下敬称略) 娘は7歳、小学校1年生になりました。放課後はほぼ毎日のように、バレエや運動教室、英語などの習い事が入っているので、学校まで車で迎えに行って、そこから習い事に送っていくというのが日課になっています。送り迎えは、私とパパで分担制にしています。

スケジュール的にもかなり忙しいのですが、本人の「どうしてもやりたい!」という強い希望があって続けています。正直、仕事をしながらの送迎は大変なときもあるのですが、そこはパパと協力し合ったり、まわりの方のサポートを受けながら、なんとかやっていますね(笑)

娘には夢がいくつもあるんです。夢や目標を持つことってすごく大切なことだと思うので、私もパパも、可能な限り応援したい気持ちでいます。

娘がこうして、夢をもって頑張っているのは、パパと私の影響が大きいと思います。とくにパパは、ずっと夢を持ち続けて生きている人なので、それが娘にも影響を与えているのかなと。だからからなのか、娘はチャレンジすることがとにかく好きなんですよね。

娘は、夢をかなえたり、目標を達成したり、試合や大会で勝利しているかっこいいパパの姿を番組などで見ていて、「ちえちゃんも、パパみたいに、自分の目標をかなえるんだ!頑張って努力するんだ!」と言っています。

それに私も、今は目標をもってマラソンを頑張っています。だれかと比べるのではなくて、過去の自分だったり、自分が設定した目標タイムに向けてチャレンジしてくことを心がけているんです。そういった私の後ろ姿を娘は見てくれているんじゃないかなと思いますね。逆に私自身も、娘にそういうチャレンジをしてほしいから、頑張り続けていけるところもあります。

というのも、目標に向かっている娘に、「頑張れ」と言葉で言うだけではなく、一緒に「頑張ること」を共有できたほうがいいんじゃないかなって。そうすれば、もし娘がこれから先、何か壁にぶつかったときに、どうやって乗り越えたらいいのかをアドバイスしてあげられるかなと思うんです。マラソンをする中で、なかなかタイムが伸びなかったり、スランプに陥ることももちろんあります。その経験を踏まえて、「ママはこうやって乗り越えたんだ」とか「その気持ち、すごくわかるよ」などと、アドバイスができれば、うれしいですね。

――マラソンは、金田さんにとってライフワークになっているんですね。

金田 私は今51歳ですが、ぶっちゃけ、この年になると新たなチャレンジってしんどいですし、でも、チャレンジをやめた時点で、人の成長って止まってしまうと思うんですね。私は、死ぬ間際まで、成長痛があるような人でありたくて(笑).
小さなことでいいので一生何かに挑戦し続けたいと思っています。

それで、マラソンはやっていて楽しいですし、それが将来、娘を応援することにつながったらいいなと思って続けているんです。正直、きついときもありますが、これからも娘と一緒に成長していきたいです。

42歳で妊活をスタート。周囲からの言葉にあせりも感じでいた

――44歳での高齢出産だったということですが、当時は妊活などしていたのでしょうか?

金田 そろそろ子どもを考えようかなと思い始めたのが、42歳になったころでした。そのころの私は、妊娠について本当に無知でしたが、妊活を意識し始めて比較的すぐに自然妊娠したんです。ただそのときは、かなり初期の段階で流産してしまいました。

私のこれまでの人生って、けっこう運よく生きてきたところがあって。まさか、自分が流産をするとは思わなかったんですよ。それで、この出来事には、何か意味があるのかな?と考えをめぐらせました。

実はそのころ、渉くんとけんかが多い時期だったんですよね。振り返ってみると、42歳からの妊活ということで、自分自身もあせりがあったんだと思います。それに、「子どもは作らないの?」とまわりから言われることもいつの間にかプレッシャーになっていて、自然とけんかが増えていたのかもしれないです。

そんなタイミングで流産したということは、「赤ちゃんが私たちに、『けんかをしないで』と言っているのかも」と、自分の中で腑に落ちたんですよ。

それは、渉くんにもすぐに伝えて、一緒に考えました。それで、けんかをしないように気をつけようということになったんですね。そうしたら、その後に娘がおなかにやってきてくれて、無事に生まれてくれました。

最初の子が本当に初期での流産だったので、もしかしたら、あのときの子が娘なんじゃないかな〜なんて、今でも密かに思ったりしています。

――妊娠中は、体調などはどうでしたか?

金田 妊娠中は、そんなに大きな問題はなかったんです。マラソンをしていたことがよかったのかもしれないのですが、体力がそこそこあったので、出産ギリギリまで動いていました。

それよりも、精神的なプレッシャーのほうが大きかったですね。40代になると、流産する確率も上がってしまうし、元気な子が生まれてきてくれるかなとか、そういう心配がずっとありました。一度流産経験があるからこそ、とにかく怖かったですね。もしここで流産してしまったら、44歳という年齢だと、また妊娠できる確率はさらに低くなってしまう・・・。そんな、高齢出産ゆえの不安を強く感じていました。

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