何度も読み返すに値する文学的感動作  D・マッツケーリ『アステリオス・ポリプ』|中条省平

何度も読み返すに値する文学的感動作 D・マッツケーリ『アステリオス・ポリプ』|中条省平

今回ご紹介するのは、アメリカのグラフィック・ノヴェル、デイヴィッド・マッツケーリの『アステリオス・ポリプ』(サウザンブックス)です。

「グラフィック・ノヴェル」とは、日本でいう「マンガ」のことですが、スーパーヒーローが活躍する通称「アメ・コミ」や、一般読者を対象とするユーモア・マンガなどとは違って、独自の美学や凝った技法を駆使する、文学性の高い作品を指す言葉です。

 

『アステリオス・ポリプ』は、アメリカのマンガ賞の最高峰であるアイズナー賞において、2010年の「ベスト・グラフィック・アルバム賞」を受賞しています。

主人公のアステリオス・ポリプは、大学で建築学を教える教授で、彼の設計した建築は色々なコンペで優勝しています。しかし、その建築が実際に作られたことはなく、すべては設計図としての評価であり、彼は「ペーパー・アーキテクト」として名声を誇っていたのです。

そんなポリプが、50歳のとき、自宅のあるビルへの落雷と火災をきっかけにして、自宅を捨てて、放浪の旅に出ます。そうして、新しい世界と人間たちとの出会いを徐々に経験するようになるのです。

これは、初老の男が、自分の人生を再発見する旅と冒険の物語であり、その意味で、英雄オデュッセウス(ユリシーズ)が世界を遍歴するギリシア神話の『オデュッセイア』の語り直しという側面ももっています。

いっぽう、その旅の物語と並行して、ポリプが生まれてから50歳になるまで送ってきた人生の回想も描かれます。

とくに重要なのは、日本人とドイツ人の混血女性であるハナとの愛と結婚のドラマです。

じつはポリプは双生児として生まれるはずでしたが、出生時にその片割れが死んでしまったために、つねに自分は、いまいる自分と、死んで魂になったもうひとつの自分という、二つの人格に引き裂かれている、と感じています。

この人格の二重性から発して、ポリプはつねに世界を二元論的な対立のなかで捉え、形而上的な理屈で解釈しようとします。

とはいうものの、ポリプ自身、自分のそうした精神性に疑いを抱くからこそ、50歳のときにすべてを捨てて放浪の旅に出たわけです。

しかし、妻ハナとの生活のなかでは、すべてを理詰めに考えようとする自分と、理屈より感性を大事にするハナとの落差は広がるばかりで、離婚という結末に至りました。

しかし、放浪の旅で出会った人々との生活がきっかけとなり、ポリプはしだいに、自分より大きな世界の現実を見出すようになります。

さらに、ポリプとハナの運命にも、もう一つの結末が待っていて、私たちを感動させます。

ところで、彼の名前のアステリオスとは「星」のことで、このマンガの始まりと終わりでは星が大きな役割を果たします。災厄(disaster)とは、「悪い星」のことなのです。

作中のあらゆるところに、グラフィックな仕掛けと、哲学的な示唆がちりばめられ、この作品の読みかたを重層化しています。読み返すたびに発見のある刺激的なマンガなのです。

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