詩人の谷川俊太郎さんが亡くなった――その訃報が駆け巡ったのは11月19日のこと。その日はたまたま明け方近くに目が覚め、枕元にあったスマートフォンに手を伸ばした。SNSを開くとトレンドには「谷川俊太郎さん」とあり、それが何を意味するのかその時はなんとなくわかってしまったから、開く前には少し覚悟した。
はたして、予想は思った通りだった。
ああ、ついに……。
そしてそのあとすぐに、たよりない気持ちにとりさらわれた。これからわたしたちは、谷川俊太郎のいない世界を生きていかなければならないのだ。
谷川さんは、わたしの身近にいるもっとも有名な人だった。「身近にいる」とはわたしが勝手にそう思っていただけの話で、同じように感じていた人はほかにもたくさんいただろう。その身近さは、電車でわずか一駅のところに住んでいたという、主に「距離」に起因する話なのだが、そう言っても許してくれそうなくらいには、気安いところのあるかただった。
もちろん、ご自身が書かれた詩のように、明瞭なところも多かった。一度ある出版社から、谷川さんと書店について対談してほしいという依頼を受けたことがある。そのときは谷川さんと書店という言葉がすぐには結びつかず「どうかなあ」と思っていたのだが、わたしにも久しぶりに谷川さんと話してみたい下心はあったので、「聞くだけは聞いてください」と答えた。それからしばらく経って出版社から連絡があり、「僕にはあまり話せることはないかな」とお断りになったという。それを聞いてわたしは納得し、思わず胸をなでおろしてしまった。
谷川さんは、まだ若い、これからの人への励ましを忘れないかただった。無名とも思える人とのコラボレーションもいとわなかったが、自分の仕事とは思えない依頼は、きっぱりとお断りになっていた。そうしたはっきりしたわかりやすさを、わたしは信頼していたのだと思う。
谷川さんの訃報が流れたその日は落ち着かなくて、いちにちSNSのタイムラインを眺めて過ごした。そこでは多くの人が、自分の好きな谷川俊太郎の詩やことばを投稿していたが、それはこの世界にしてはめずらしい、無私ともいえる光景だった(誰かが亡くなったとき、老いも若きもその人の詩を口ずさむことのできる詩人なんて、はたしてこの先現れるのだろうか)。
それぞれの人のなかに、その人の思う「谷川俊太郎」がいた。そのすべてが谷川さんで、そしてどの谷川さんもほんとうの谷川さんとは少し違うのだと思う。そう考えると謎は謎のままそれを持って旅立たれたようで、「はたして谷川さんという人はほんとうにいたのだろうか」と、不思議な気持ちになってしまう。
これから「ことば」はどうなってしまうのだろう。
冷笑やあざけり、開き直り。人を人とも思わない、自意識を隠そうともしないことばが、いまよのなかには溢れている。
谷川さんは、そうしたことばとは無縁だった。世界をただ正確に記述するため、何事にも極端には加担せず、慎重に距離を保ちながらことばを使われていたのだと思う。
そうしたことばの護り手が近くにいることが、直接はお会いしなくても、「書店」ということばを扱う店としては励ましだった。今日も空を見上げれば、いまは偏在しているその存在を感じることができるが、たとえ当分はたよりなく感じられても、自分のやれることをやっていきたい。
今回のおすすめ本
『大きなシステムと小さなファンタジー』影山知明 クルミド出版
なぜ人は、「小さなモモ」が体現するような、人が奪われることのない世界に向かっていけないのだろう。「それはファンタジーでしょ」とあきらめる前に、身のまわりのことからはじめてみてはどうだろう? 国分寺に根を生やし考えた九年間の成果。
配信: 幻冬舎Plus