なかなか口から飲んでくれず、一喜一憂する毎日
――生まれてすぐ、鼻からチューブを入れていたとのことですが、授乳はどうしていましたか?
寺川 最初は綿棒に母乳をつけ、口のなかを湿らせる程度でした。手術後、胃まで届くチューブで母乳の注入を始めました。同時に口でも飲めるように、少しずつ練習も始めました。ところが、本当に飲まなくて・・・。飲ませようとすると、ギャン泣きしてそっくり返って嫌がるんです。そのことにすごく悩み、毎日晴貴と一緒に泣いていました。そのころは、最初に直接おっぱいをあげ、次に哺乳びんで母乳を飲ませ、それでも飲まなかった分をチューブから注入するという3段階で練習していました。
私はとても神経質になっていました。毎日授乳前後に晴貴の体重を測定し、どれだけ飲めているかチェックしていたんですが、毎回ノートに記録して「まったく飲めてない・・・。」と落ち込んでいました。
横隔膜ヘルニアのお子さんは、なかなか哺乳ができない子が一定数いるようです。人工呼吸器をつけている期間が長く、口に何かが触れるだけで嫌がってしまう場合があるようです。
生後3カ月半で退院したときは「哺乳びんで10mL飲めたらすごい」という感じでした。自宅でも口から飲ませる練習をしましたが、吐き戻すことも多くて・・・。「栄養がとれないかもしれない、体重が減ってしまう」と思いつめ、まったく余裕のない毎日でした。周囲におなじ境遇の人はいなくて相談もできません。「もしかすると、ずっと口から食べられないかもしれない」と怖くてしかたがありませんでした。口から栄養をとれるようになったのは、生後7カ月で感染症を起こし入院したのがきっかけです。
――口から食べられるようになるのに、どのような経緯があったのでしょうか?
寺川 この入院のとき、絶飲食となったのですが、空腹の感覚がわかるようになったようです。急にたくさん飲むようになりました。それまでは栄養が注入されていたため、いつも満たされていたようなんです。口から飲めるようになってから、離乳食も食べられるようになりました。
現在、晴貴は6歳になりました。毎日元気に保育園に通う、外遊びが大好きな男の子です。晴貴の疾患がわかったときは明るい未来が想像できず、毎日とても苦しかったです。こうした経験から2020年、先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会を立ち上げました。同じ疾患の子をもつ家族同士で情報交換を行ったり、悩みを打ち明けられたりする場所を設けたいと思ったんです。1人で抱えるのではなく、支えとなる場所でありたいと考えています。
【臼井規朗先生から】先天性横隔膜ヘルニアは症例によって重症度が大きく異なる病気
先天性横隔膜ヘルニアは症例によって重症度が大きく異なります。横隔膜ヘルニア以外に重症の先天異常を合併している場合や、胎児期に肺が強く圧迫を受けていた症例ではいっそう重症になります。
最近では、先天性横隔膜ヘルニアの8割程度の症例が出生前に診断されますが、胎児超音波検査や胎児MRI検査の進歩によって、生まれる前からある程度重症度が予想できるようになっています。病気が横隔膜ヘルニアだけで、重症の先天異常を合併しない場合は、9割程度の赤ちゃんが救命されるようになっています。
お話・写真提供/寺川由美さん 監修/臼井規朗先生 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部
わずか妊娠14週でわが子に重篤な疾患があると診断され、不安のなかで妊娠期を過ごした寺川さん。むやみにおそれるのではなく、正しい知識を学ぶことが大切なのだと伝わりました。
インタビュー後編は、寺川さんが家族会を立ち上げた経緯について聞きました。
「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
配信: たまひよONLINE