寺川由美さん(39歳)の2018年に生まれた二男は、重篤な疾患・先天性横隔膜ヘルニアと診断されています。寺川さんの周囲に同じ状況の人がいなかったため、悩みを相談できず、1人で抱えこんでいたそうです。同じ思いでいる人を孤立させないため、2020年「先天性横隔膜ヘルニア患者・家族会」を立ち上げるまでの経緯を聞きました。
全2回のインタビューの後編です。
1歳で酸素ボンベが必要なくなる
――二男の晴貴くんが、妊娠14週で先天性横隔膜ヘルニアと診断されたそうです。どんな医療ケアが必要だったのでしょうか?
寺川さん(以下敬称略) この疾患は生まれつき横隔膜に孔(あな・病的変化などにより、臓器の壁にあいた穴のこと)あいていて、胃や腸が胸に入り込んでしまうという病気です。生まれてすぐに横隔膜を閉じる手術が必要です。肺の成長が不十分なため、うまく呼吸ができず、人工呼吸器が必要で、晴貴も生まれた直後から人工呼吸器をつけることになりました。
人工呼吸器は生後11日で卒業できたのですが、その後「ネーザルハイフロー(ハイフローセラピー)という、鼻から高流量の酸素を投与する呼吸補助治療を受けていました。生後50日くらいから酸素カニューラ(鼻の下に当てて、酸素を流出させるチューブのこと)に移行し、生後62日目に初めて酸素ボンベを背負い、長男と窓越しに面会できました。
生後3カ月半入院し、退院後も1日中酸素カニューラをつけて過ごしました。少しずつはずす時間を増やしていきながら卒業となる子もいるようですが、晴貴は1歳になってすぐの外来で心臓エコー検査などの結果から「今日から酸素は必要ありません」と言われました。突然の卒業となったんです。体の一部のようになっていたので、最初はおそるおそるでした。
――現在の晴貴くんの様子を教えてください。
寺川 晴貴は現在6歳です。2歳から保育園に通い始め、園にいる間はケアが必要ない状態です。現在は運動制限もありません。友だちと活発にかけっこをしたり、こま回しをしたりして楽しんでいます。感染症にかかって酸素が必要なときは保育園に行けず、私か夫が自宅で見ていますが、成長と共に酸素が必要になることは減っています。小学校は、今のところは通常学級に進学予定です。現在は、2カ月に1回ほど病院に行き、気管支ぜんそくの吸入薬を処方されています。
とはいえ、この疾患は基本的に一生つき合っていく必要があるものです。胎児のときに肺の形成が不十分だったため、肺の機能もほかの人より低いです。発達の問題や側弯症(そくわんしょう)などの、起こるかもしれない合併症を含めると、ずっと見守っていく必要があると感じています。
旅行先でぜんそくを発症し、1週間入院したことも
――これまで入院をしたことはありますか?
寺川 産後3カ月半入院していました。退院後も何度か入院しています。生後7カ月、9カ月、11カ月で呼吸器感染症にかかり、1週間ほど入院しています。1歳5カ月のときは旅行先で体調を崩し、入院することになりました。そのころの晴貴は、酸素は卒業していましたが、風邪をひいたときは必ず酸素が必要でした。まだそんな状態だったので、事前に酸素会社に「ここに行きます」と伝えておくと、指定した場所に酸素を置いておいてくれるんですが、その時は「今回はいけるかな」と甘く考えて手配しなかったんです。
旅行先でちょうど台風が来てしまい気圧が変化した影響で、ぜんそくを発症してしまったんです。基準値が96~99%くらいといわれる酸素のサチュレーションが80%まで下がり、急きょ病院に運ばれることになりました。私が付き添い、1週間ほど入院して新幹線で帰宅しました。
配信: たまひよONLINE