第1子妊娠中の栗原 恵、「40歳での妊娠・出産は自分には難しいと思っていた。卵子凍結を検討したことも」

第1子妊娠中の栗原 恵、「40歳での妊娠・出産は自分には難しいと思っていた。卵子凍結を検討したことも」

2024年9月に結婚と妊娠を発表した、元バレーボール選手の栗原恵さんにインタビュー。「自分には妊娠・出産は難しいと思っていた」という栗原さんに、自身も驚きのうれしい妊娠判明エピソードや、40歳という年齢での妊娠生活について、詳しく教えてもらいました。全2回インタビューの前編です。

妊娠できるのか検査をしてもらおうと思っていた矢先の妊娠でした

――このたびは、ご懐妊、おめでとうございます。妊娠がわかったときの状況やそのときの気持ちを教えてもらえますか?

栗原さん(以下敬称略) ありがとうございます。自分でも本当に驚きの妊娠でした。私自身、年齢的にも妊娠するのは難しいと思っていたこともあり、彼とはおつき合いを始めるときに「私とだと、年齢的にも、子どもを持つという幸せはないかもしれない…」という話をしました。それでも、彼は「2人で一緒にいたいのに、なんで子どもの話をするの~?」と言ってくれて。私はその言葉を聞いて、すごく気持ちがラクになったんです。もともと結婚願望はなかった私ですが、彼とおつき合いするうちに、彼のほうから、「今後、結婚や子どもはどうしたい?」と聞いてくれて、2人で真剣に話す機会が増えていきました。

私は、「子どもは無理だろうな…」と思いつつも、「2人の子どもができたら幸せだよね」と感じるように。彼は「2人の子が難しければ、養子縁組や里親制度なんかも考えてみようか」と言ってくれて。

まずは、自分に妊娠できる可能性があるのか知るところから…と思って、「来月、1度クリニックで検査をして、卵子の状態を調べてもらおうかな」と言っていた矢先に妊娠が判明したんです。まさか、まさか!のうれしい妊娠でした。

私は選手時代から、自分の体調の変化にはすごく敏感なほうだったので、生理が遅れた段階で「だるさもあるし、もしかして!?」と妊娠に気がつきました。でも、妊娠してすぐのときは妊娠検査薬では測定できないということだったので、1週間ほど待ってから妊娠検査薬を使い、陽性反応を確認しました。

私の母は、「授かれるタイミングがあるなら、産んだほうがいいよ」と背中を押してくれていました

――彼にはすぐ報告したんですか? すごく驚かれたのでは?

栗原 妊娠検査薬で陽性が確認できてから報告をしました。何も言わずに、陽性反応が出た妊娠検査薬を封筒に入れたものを渡したんです。彼は「体温計が入っている…?」みたいな反応で、まったくわかっていなくて(笑)。妊娠したことを伝えると、びっくりしすぎて、ずっと口が開いたままの状態で、時が止まっているかのようになっていました。そして、しばらくしてから、「すごいね!!!」とハグをして、喜んでくれました。

――サプライズ、大成功ですね。ご両親への報告もすぐにしたんですか?

栗原 はい、すぐに報告しました。彼とおつき合いをしていて、今後結婚や子どもを持つことについてどうするか真剣に話をしている…ということを親にも伝えていたので。

彼とつき合う前は、母には「私に結婚願望がない」ということと、「子どもを授かることは難しいと思う」ということを、自分の勝手な判断で伝えていたんです。私は猫を3匹飼っていたので、「孫が猫でごめんね~」と。母は「猫もかわいくていいわよ~」って言ってくれていて。
でも、彼とつき合うことになって、結婚や子どもについても話し合っているということを伝えたら、「授かれるタイミングがあるのなら、産んだほうがいいよ」と背中を押してくれて。

母の言葉は、いつも私をラクな気持ちにさせてくれるんです。私が「子どもを授かることは難しい」と話していたときも、口には出さなかったけれど、「授かるのが難しいなんて、なんで決めつけているのかわからない」と思っていたそう。母は、私が妊娠する前から、私が子どもを産むような気がしていて、性別まで予感していたそうなんです。しかも、母の予感していた性別は当たっていたので、「え~!!なんで~」とびっくりしました。

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