メンバーの血液を提供、「みそ漬け実験」が導いた再審無罪判決 袴田さん支援団体が解散

メンバーの血液を提供、「みそ漬け実験」が導いた再審無罪判決 袴田さん支援団体が解散

59年前の1966年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の、みそ会社専務宅で一家4人が殺害され、金品が奪われて放火された事件をめぐり、昨年9月に静岡地裁(國井恒志裁判長)で再審無罪判決が確定した袴田巌さん(88)。

証拠衣類の血痕の赤みに疑問を抱き、「みそ漬け実験」を考案するなど、重く厚い再審の扉を開くことに貢献した「陰の立役者」というべき支援団体が、1月25日に最後の講演会を開いた。同日、目標を達成したとして解散した。(ライター・学生傍聴人)

●「再審冬の時代」に支援団体は設立

今回解散した支援団体は、「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」。

同会は、さかのぼること22年前の2003年に設立された。前身の支援団体が解散したことから、かつてのメンバーが集まって新たに結成。メンバーは、地元の静岡市民が中心だったが、徐々に事件が注目を集めると機関紙を配布する先が全国へ拡大していったという。

設立当時は、「再審冬の時代」といわれるほどに、全国的に裁判所から再審請求が認められることが少なかったころ。

現に、日本弁護士連合会が支援する再審事件では、1994年に「榎井村事件」の高松高裁での再審無罪判決から、2010年の「足利事件(宇都宮地裁判決)」までの16年もの間、一件も再審無罪判決を実現することができなかった。

袴田さんの再審請求も、この荒波にもまれていた。

1980年11月、最高裁で袴田さんの死刑判決が確定。翌年の1981年に、静岡地裁へ第一次再審請求を申し立てたものの、1994年に請求が退けられた。その後、不服を申し立てるも2004年に東京高裁が、2008年に最高裁も請求を認めなかった。

●支援者の疑問が再審無罪の決定打に

なにか、再審を突破できるほどの強力な「新証拠」はないのか。同会のメンバーらは、「5点の衣類」のとある矛盾点に注目した。

「5点の衣類」とは、第一審の公判が進行中で事件発生の1年2か月後の1967年8月、みそ工場の従業員によってみそタンクから発見され、犯行着衣とされた証拠。「5点の衣類」には、みその色と赤色の血痕が付着しており、鑑定で袴田さんの血液型と一致することなどを理由に、静岡地裁は死刑判決を言い渡し、最高裁で確定した。

有罪立証の核となった「5点の衣類」。だが、既に警察の捜索が終わっていたみそタンクの中から発見されたこともあり、かねてから「ねつ造」の疑いがあった。

「1年2カ月間もみそに漬かってたにしては、衣服の生地が白すぎないか」

そう疑問を抱いた同会のメンバーらが中心になって、2000年代ころから実際に「5点の衣類」と同じ素材の衣類で「みそ漬け実験」を開始。その結果、ごく短時間で「5点の衣類」と似た色に染まることが分かった。同会のメンバーは、自らの血液を提供して実験を重ねて、弁護団とともに報告書を作成して裁判所に提出。

この報告書が「新証拠」となり、2014年に静岡地裁が再審開始を決定。その後、昨年9月の静岡地裁では、「5点の衣類」の捜査機関によるねつ造が認定されるに至った。

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