血管は、私たちの体に酸素や栄養を運ぶ、なくてはならないものですが、それが「あってはならない場所」にできてしまった場合、痛みや動きの制限をもたらすのだそうです。体験談を語ってくれたみさとさん(仮称)が経験した「血管奇形」は、本来あってはならない場所に血管が存在し、さらにそこから出血して血腫を作ってしまう状態です。症状に気づいたきっかけやその後の経緯、治療の内容や現在の生活などについて、話を聞かせてもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年10月取材。
体験者プロフィール:
みさと(仮称)
1990年生まれ、小学4年生で痛みを覚え、社会人になって自分で病院を探し回り、大腿中間広筋血管奇形と診断される。もともと運動が好きで、バスケや登山、スノーボードなどを趣味としていたが、断念せざるを得ない状況になる。現在も慢性疼痛と付き合う日々を送る。
「足を切断することになったらどうしよう」
編集部
最初に不調や違和感に気づいたのはいつですか?
みさとさん
最初の不調は10歳のときです。 当時、小学4年生で、バスケットボール部に所属していました。部活動が終わり、みんなでストレッチをしているとき、左太腿の前側に痛みが出はじめていたのを覚えています。それが最初の違和感でした。
編集部
そこからどうやって受診に至ったのですか?
みさとさん
家に帰ってから家族に相談しました。安易に病院に行くことをよく思わない家系だったので、最初は祖父から渡された市販の鎮痛剤を塗っていました。それが数日続き、小学生の私は漠然と「このまま治らなくて足を切断することになったらどうしよう」と不安でしたが、母の方針で学校や部活を休むことが許されないと感じていたので、足の痛みを我慢しながら小学校を卒業するまでほぼ毎日バスケをしていました。痛みを我慢するのが当たり前になっていました。
編集部
中学校や高校ではどうしていたのですか?
みさとさん
田舎なので、毎日5km先にある中学校へ、自転車で30分、坂を上り下りして通学していました。 その影響もあってか、さらに左太腿が痛くなり、そこで初めて母の紹介で接骨院へ行きました。ここでは柔道整復師の先生から「肉離れの初期症状のようだ」と言われました。しかし、いくら通っても治らず、「治らないからサポーターを買って使うように」と言われ、治療を諦めてしまいました。高校に入っても、毎日サポーターをつけて生活していました。サポーターの固定力があったために、左足の筋力は弱くなっていき、 筋肉量に左右差が出てきていました。
編集部
その後、やっと病院を受診されたのですね。
みさとさん
そうですね。大学進学と同時に上京したのですが、最初は病院ではなく接骨院を探しました。ある柔道整復師の先生に、「一度レントゲン検査をした方がいい」とアドバイスをもらったのですが、当時の私は「治らないと言われているし」「いまさら行ってもしょうがない」「レントゲン検査にお金を払うくらいなら、もっと好きなことにお金を使いたい」と考えていました。やがて大学4年になって就職も決まり、少し時間が取れたので、そこで初めて整形外科に行くことにしました。 10歳のときに痛みを覚えてから、初めて受けたレントゲン検査です。
編集部
結果はどうだったのですか?
みさとさん
「疲労骨折」と言われました。骨の周りが薄く白く写っていたので、そのような診断になったと記憶しています。医師からは「安静にしていれば3か月くらいで治るでしょう」と言われました。「詳細を調べるためにMRIを撮ってみても良いかも」「足裏の筋肉が弱っているから靴のインソールを作ってみましょうか」とも言っていただいたのですが、ここでもやはり好きなことに時間もお金を費やしたいと思い、通院をやめてしまいました。
[※記事監修医補足]長期間痛みが続く場合は、整形外科での画像検査(特にMRI)が診断に有用であるとのこと
編集部
はっきりとした診断がついたのはいつ頃でしょうか?
みさとさん
社会人3年目になってからです。自分でお金を稼ぐようになり、やっと「ちゃんと足の治療を受けよう」と思うようになったんです。足の痛みについて仕事先の先輩に相談したところ、評判がいいと言われている整形外科を紹介してくれました。そこでもレントゲン検査をしたのですが、「確かに疲労骨折の所見はあるけれど、骨の周りの白い膜があるから、一度MRIを撮って詳しく調べた方がいい」と、大きい病院の紹介状をもらいました。MRIの結果、「筋肉の中に血管ができている。そして筋肉の中に血の塊ができ、それによって痛みが生じているのだろう。ウチでは手術できないので大学病院で見てもらうように」と言われました。
編集部
その後はどうされたのですか?
みさとさん
大学病院の整形外科では、「血腫を摘出する手術」もしくは「血液サラサラの薬を飲んでしのぐ」かを次の受診までに考えておくように言われましたが、「手術のために会社を休まないといけないのか?」「薬で良くなるのか?」と不安になり、結局次の受診に行くのをやめてしまいました。その翌年、引越しをした先で整形外科を受診してみたところ、 結果は「血管奇形」ということで、血管腫の専門の先生がいる病院に紹介状を書いてくれました。
いくつかの病院で説明を受けてから治療を開始
編集部
それはどんな病気なのでしょうか?
みさとさん
診断名は「左大腿中間広筋内血管腫」といいます。本来ならば身体に必要のない血管が存在していて、それらが何らかのタイミングで出血し、血腫を作っているため、動かしただけで痛みを伴うのだそうです。
[※記事監修医補足]「大腿中間広筋内血管腫」についての症例報告によると、筋肉内にできる血管腫はすべての血管腫の中で約1〜10%とされています。発症年齢は85%が35歳以下であるともされており、今回の症例と合致していると言えます
編集部
どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?
みさとさん
「手術で、奇形腫(不要な血管)をぐるぐる巻きにして消滅させるか、もしくは血腫そのものを摘出するかのどちらかになる」という説明を受けました。
[※記事監修医師補足]保存的治療としては弾性ストッキングなどを用いた圧迫療法があります。疼痛や運動機能障害が見られる場合には、硬化療法と切除療法が選択されることがあります
編集部
そのときの心境について教えてください。
みさとさん
「やっとこの痛みから解放される」という思いが一番でした。しかし、話を詳しく聞くと、手術してみないとわからない点が多く、「最悪の場合、左太ももの筋肉もたくさん切除することになる」「社会復帰できるまでに長期のリハビリが必要になるかもしれない」とも言われました。「この痛みから解放されても、歩けなくなったらどうしよう」「仕事を辞めることになるのかな」といった気持ちも大きくなりました。また、「手術の傷は20cmくらい」と話があり、過去に別の病気で手術を受け時の傷が1cm未満であったにもかかわらず辛かったのに、その何倍もの大きさの痛みを味わうのかと思うと、想像するだけで耐えられませんでした。
編集部
実際の治療はどのようにすすめられましたか?
みさとさん
まず、2か所の医療機関でセカンドオピニオンを受けました。1か所目は血管外科の名医がいて、摘出手術ではなく、血管を詰めることができる医師がいるというのをインターネットで見つけ、すがる思いで行ってみることにしました。 そこでは硬化療法・塞栓術をやってみることになりました。保険適用外でしたが、手術の侵襲が少ないことに惹かれ、ひとまず受けてみることにしました。1回目の手術の結果次第では、3回くらいに分けて、血管を埋める作業をしていくとのことでした。しかし1回目の手術で、「しっかり薬剤が血管に入らなかった。このまま2回目を行っても、効果があるかはわからないと」と説明を受けました。
編集部
そこからどうされたのですか?
みさとさん
サードオピニオンとして、ずっと気になっていた慢性疼痛の治療で有名な病院に連絡を取ってみました。このときは仕事をしていなかったので即日で診察の予約を取り、院長の診察を受けました。「大丈夫、治るよ。よくここまで頑張ってきたね」と言っていただき、とても心が軽くなったと同時に「もっと早くここに来ればよかった」という想いも溢れました。というのも、失業保険の給付があと一か月で切れる時期だったからです。
編集部
そちらで治療を受けられたのですね。
みさとさん
はい。こちらも保険適用外でしたが、運動器カテーテル治療というものを受けました。「細いカテーテルを使って、血管に抗生剤投与と細いコイルを詰めていくという作業をします。その結果、痛みが生じる血管の血流を弱くして、さらには徐々に血管自体も小さくさせていく」という説明を受けました。私の場合は、1度目のカテーテル治療が終わってからしばらくして、経過を検査したときに「再開通している可能性がある」といわれたので、追加で再度治療したので計2回行っています。その後は、再開通しているのかしていないのか、正確にはわかりませんが、現在も痛みはあるので経過観察ということで定期的に医師の診察を受けています。
配信: Medical DOC