いつまでも“女”でいたい…その心理の正体を探る

第1回 いつまでも“女”でいることは悪なのか?
いわゆる“美魔女”など、最近は40代、50代になっても若々しく、美しい女性が増えています。母親であると同時に「女」としての輝きも失いたくない。その人生は、とても充実しているように見えます。

しかし一方で、ネットなどでは「若づくりがイタイ」「いい年をして、みっともない…」など、“年相応”でないことに対して批判的な意見も。妻となり、母となってもなお女っぷりを磨くことに対し、批判的な言葉をぶつける風潮も目立ちます。

はたして、女性がいつまでも女として輝きたい…と考えることはそれほど“不自然”なものなのでしょうか? 精神科医・作家の春日武彦先生に問いました。

●“もしも”から生まれる女の輝きへの希求

女性が女性としていつまでも輝きたいという気持ちを抱くのは、決して不自然なことではないと 春日医師はいいます。

「“女”として輝きたい、という気持ちは、仮に子どもがいなければ得ていたであろう『別の可能性』を取り戻したいという願望から生まれます」(春日先生、以下同)

男性に比べて、女性は結婚や出産による環境の変化が大きくなりがち。選んだ人生、そしてそれによる現状に不満はないものの、「もしもあの時仕事を辞めていなければ…」「もしも出産していなければ…」など、もうひとつの未来としてあり得た“パラレル・ワールド”を女性は思い描きやすいというのです。

「そうすると、子育てがひと段落した時に“もうひとつの可能性を取り戻そう”“女としてもう一度輝こう”という気持ちが沸き起こるのではないでしょうか。それは決して不自然なことではありません。今は40代で出産する女性も少なくないので、そう考える女性の年齢はどんどん高くなっているのかもしれませんね」

いつまでも“女”でいたい…その心理の正体を探る

●社会の平等化が“別の可能性”への模索を生む

一方で、「昔はそうした『女盛りの時期を取り戻したい』という発想はなかった気がします」と春日医師。

「近年は女性の社会進出が進み、生き方が多様化したことで『別の可能性』を想像しやすくなった。また、社会の経済的な“平均化”が進んだことも大きな要因のひとつかと思われます。たとえば、今は流行の服も安価で買えて、お金がなくてもきれいでいられる。昔はそうではなく、収入格差が見た目にもハッキリと現れていた。いわば明確な“階層”のようなものがあったんです。今はよくも悪くも平均化されていますよね。そこに物足りなさを感じ、他人よりも秀でたい・輝きたいという発想が出てくるのではないでしょうか」

それに加え、マスコミも“多様な生き方”“輝く自分”を煽ってくる。世の中的にも「ただの母親ではなく、素敵な母親」であることを求める風潮にあるといいます。

「40代、50代向けの女性誌などでも、今は同世代にはとても見えない若々しい女性が数多く登場しますよね。まるで、そうあらなければいけないように。子どもの授業参観などでも、脇目を振らずにお母さんとして頑張っている人よりも、“若くてきれいなママ”でいることが求められているようなところは少なからずあると思います」

社会的背景を含む、さまざまな要因が重なり合い生まれる「いつまでも女でいたい」という思い。
春日医師の話を聞く限り、それは決して不当に糾弾されるべきことではなさそうです。

(文=周東淑子/やじろべえ)

お話をお聞きした人

春日武彦
医学博士、精神科専門医
1951年京都府出身。日本医科大学卒。産婦人科医として6年間勤務した後、精神科へ移り現在も臨床に携わる。『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)等著書多数。
1951年京都府出身。日本医科大学卒。産婦人科医として6年間勤務した後、精神科へ移り現在も臨床に携わる。『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)等著書多数。