■“顔が似ている”堺雅人との関係性
「年をとったら『小日向文世』という芸名に変えようかな」
小日向文世とよく顔が似ているといわれる堺雅人はそんな冗談で笑わせた。「新選組!」(2004年NHK総合ほか)の打ち上げで似ているからと写真を一緒に撮って以来、堺は「コヒさん」と呼び、息子のように接しているという(「FLASH」2016年5月3日号)。若い頃の小日向の写真を見るとよりそっくりだ。その隣に映っているのは、中村雅俊。小日向が彼の付き人をしていたのも有名だ。
高校時代、小日向は油絵を描いており美大を志したがそれは叶わずグラフィックデザインの専門学校へ進学した。最初の大きな転機は、冬休みにスキーに行き、左腕を複雑骨折したこと。2年にわたり入退院を繰り返すことになる大怪我だった。その分、勉強が遅れ、それをやり直すのもと思い写真学科に編入。だが、やがて「作品を作るより、自分が作品になりたい」(「婦人公論」2023年5月号)と思うようになり、役者の道を志すようになった。
■中村雅俊の付き人時代
最初は文学座を受けるもあえなく失敗。バイト先の人から文学座の中村雅俊がコンサートのスタッフを探しているという情報を聞きつけ、来年受けるときに有利になるかもしれないと思い、付き人になった。小日向は付き人にもかかわらず、ツーショット写真をせがむといつの間にか腕を組んできたという。
「ヤツの魔術でそうさせられたって感じですね。最初はちょっと『なんだこいつ?』って思ったけど、回数を重ねると俺もしたくなっちゃう」(「FNSドラマ対抗お宝映像アワード 秋の祭典SP」 2024年10月3日フジテレビ系)と中村は述懐する。普通は上下関係でありえないが、それを許させる茶目っ気と愛らしさがこのときからあったに違いない。
そして23歳の頃、串田和美が主宰する「オンシアター自由劇場」に入団。その試験では「何か大声で叫んで」と言われ「ユウコさん好きだー!!」と骨折で入院中に好きだった看護師の名前を叫んだという(「婦人公論」前出)。劇団は42歳の頃に解散。このとき、子供が生まれたばかりだったが貯金ゼロ。小劇場界では名が知られた存在だという自負はあったものの、事務所に所属してもなかなか仕事は来なかった。そこからは借金生活が始まった。
「女房も劇団員だったから、食えない時期を一緒に過ごしてるから、ちょっとやそっと食えなくてもへこたれないんですよ。お金がないと、女房が『お金がないよ』って突っつくんです。そうすると、事務所に電話して『すみません! 借金お願いします!』って」(「人生最高レストラン」2023年10月21日TBS系)。
■月9「HERO」出演で飛躍的に伸びた知名度
約5年間、ほとんど仕事がない状態が続いたが、2000年に出演した三谷幸喜作・演出の舞台「オケピ!」がひとつの転機となった。この舞台を観たプロデューサーが、木村拓哉主演の月9ドラマ「HERO」(2001年フジテレビ系)でメインキャストに起用したのだ。仕事帰り、渋谷のセンター街を歩いているとガングロ女子高生から「あー! あの人!」と指をさされるようになるほど、飛躍的に知名度が高まった。「仕事が来ればそれに応える自信はありました」(「Challenge Stories」2017年1月28日TOKYO FM)というように、これ以降は名バイプレイヤーとして引っ張りだことなった。
そのブレイクのきっかけの一つをつくった三谷が彼を「黒と白、2つの引出しがある」と評している(「FLASH」前出)ように、基本的に柔和で天真爛漫で明るく優しい役柄が多いが、一転して恐ろしいほど冷酷非道な役もハマる。共演回数の多い長澤まさみは彼を「弟だと思っている」(「女性セブン」2023年11月23日号)と笑うが、それは歳をとっても偉ぶらない人懐っこさがある証だろう。まさに中村雅俊が言うところの“魔術”だ。誰しもが放っておけない可愛らしさがある。それ故、反転した役を演じると“効く”のだ。
現在放送中のバカリズム脚本の「ホットスポット」(日本テレビ系)では、舞台となっているビジネスホテルの長期滞在客を演じている。この号が発売されている頃には、その“正体”が判明しているだろうか。そう、小日向はその役柄が“白”であろうが“黒”であろうが、どんな色でも“何か”があると見るものに思わせる。その“魔術”で、そこに存在するだけで軽やかに、物語に深みを与え続けているのだ。
文=てれびのスキマ
1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「全部やれ。日本テレビえげつない勝ち方」
※『月刊ザテレビジョン』2025年4月号
配信: WEBザテレビジョン
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