小児がんの診断と同時に余命宣告を受けた11歳の長女。「ママとパパの子だから…」寄り添い過ごした、涙と感謝の10カ月【小児脳幹部グリオーマ・体験談】

小児がんの診断と同時に余命宣告を受けた11歳の長女。「ママとパパの子だから…」寄り添い過ごした、涙と感謝の10カ月【小児脳幹部グリオーマ・体験談】

「頑張らなくていいからね」と心でつぶやいた

――10カ月の闘病生活を経て、2013年11月に亡くなりました。

高木 天使になる数日前に、優衣奈が「人生、めちゃくちゃだ」とかぼそい声で言ったことがあります。私は「つらいことの容量は人生の中で決められている。優衣奈は11歳でそれを全部果たしたから、これからどんなことが起こってもつらいって感じないよ」と話しました。優衣奈は泣き顔になって、涙を浮かべていました。

最期は、苦しそうに呼吸が止まったり、息を吹き返したりを繰り返していました。すでに優衣奈は全力以上で頑張っていました。もう「頑張れ」とは言えず、「頑張らなくていいからね」と心の中で思いました。最期まで家族で、息を引き取るのを見届けました。

葬儀の日は、優衣奈の写真がたくさんのお花に囲まれていて、「どうして娘のお葬式をやらなきゃいけないんだろう?」と感じたことを覚えています。その日、妻が優衣奈のひつぎの前に立っていたら、足元にトルコキキョウの花のつぼみがポトッと落ちました。娘の「ありがとう」というメッセージなのかな、と夫婦で話しました。

――優衣奈さんが亡くなられて11年。ちょうど優衣奈さんが生きた年数と同じ時間が過ぎました。

高木 優衣奈と過ごした11年間は、本当に幸せでした。優衣奈が元気だったころ、家族でレストランに出かけたとき、「生活のすべてがうまくいっているわけじゃないけれど、みんなでこうして過ごせて本当に幸せだな」としみじみ感じたことを、今でも思い出します。中学生くらいまでの優衣奈の姿はまだ想像できたんですけど、それからの成長した姿は、どうしても想像できなくて…。今生きていたとしら22歳ですから、その姿が思い浮かべられないのは、とても寂しいです。

娘の闘病中に感じた、小児がん患者をめぐるいろいろな問題点を解決するために、仕事のかたわら「トルコキキョウの会」という団体を立ち上げて活動しています。私たち大人が動かないと、子どもたちは声を上げられません。親として悔しかった思いや経験をいかして、未来の子どもたちのために今の状況を少しずつでも変えていきたいと思っています。

お話・写真提供/高木伸幸さん 取材・文/武田純子、たまひよONLINE編集部

優衣奈さんと共に生きた11年間と、それからの11年間は「ガラっと大きく変化しました」と高木さん。悲しい経験を経て病気の子どもたちに寄り添う活動を続ける様子に心を打たれます。後編では、その具体的な活動の内容や、小児がんをめぐる課題について話を聞きます。

「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

高木伸幸さん

PROFILE
一般社団法人「トルコキキョウの会」代表理事。2013年に長女の優衣奈さん(当時11歳)を難治性小児がん「小児脳幹部グリオーマ(DIPG)」で亡くした経験から、仕事のかたわら小児医療環境改善に関わる活動に取り組んでいる。

■一般社団法人「トルコキキョウの会」ホームページ
https://torukokikyou.com/

●記事の内容は2025年2月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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