「自由にいくらでもお金が使えるとしたら、あなたが本当にやりたいことはなんですか?」みたいな質問ってよくありますよね。「自分が本当にやりたいこと」に答えようとするときに「お金の制約」を必ず外せるように、「自由にいくらでもお金が使える」という前提が添えられています。
お金だけでなく、時間も制約です。
「自分が本当にやりたいこと」に気づくために、時間の制約を取っ払う必要があります。
時間の制約は「やらないこと」の言い訳
僕は「やりたいこと」と「時間」の関係を2種類に分けて考えています。
「やりたいことをやるために時間をつくる」か「時間があるからやりたいことをやる」か。前者を「欲求先行型」、後者を「余白先行型」と呼んでいます。
2種類を少しイメージしてみましょう。
まず、「欲求先行型」について。
「欲求先行型」は、先にやりたいことがあって、そこから「時間の捻出」をします。仕事を調整したり、生活のルーティーンを見直したりして、捻出した時間にやりたいことを入れ込みます。もともとキチキチのスケジュールの毎日ですから、やりたいことをやっていても、どこか多忙感が拭えません。気づけば忙しさにかまけて、「どうせ自分には時間がないから」とか「今日は予定通りに終わらないから、また今度にしよう」とか、時間を言い訳にやらなくなってしまったことがある人も多いのでないでしょうか。
一方、「余白先行型」はこうです。
先にいまの生活を見直し、1日の中に余白の時間をつくります。何か予定や目的があるわけではない自由な時間です。その後、やりたいことがでてきたら、その余白に割り当てます。もともとあいている時間なのでストレスなく予定を入れることができます。最初につくった余白が埋まったら、また生活を見直し、あらたな余白をつくります。
「欲求先行型」も「余白先行型」も日々の生活を調整して「時間の捻出」をしているので結果的には同じように見えますが、「欲求先行型」の多忙感に比べると、「余白先行型」は割り当てる時間が先に決まっているため、時間に追われている感覚がありません。やりたいことをすぐに始められるうえ、心にもゆとりをもてます。「時間がないから諦める」や「また今度にしよう」とやらないことの言い訳がないのも「余白先行型」の大きなメリットです。
「何かをやりたい!」という気持ちは長持ちしないことも多いです。せっかくうまれた「やりたい気持ち」を腐らせてしまわないためにも、すぐに動き出すべきです。「やりたい気持ち」を腐らせることが続くと、自分の心が「やりたいことがあっても、どうせ満たすように動いてくれないから」と声を上げるのをやめてしまいかねません。
「余白」が大事だと思うのは、まさにこの「すぐ動き出せる」ことがポイントです。
見えてくる「やりたいこと」にも違いがでる⁉
実際、「欲求先行型」と「余白先行型」では心の余裕の有無に違いがあるため、自分の中から沸き起こる「やりたいこと」の質も異なってくるかもしれません。
「欲求先行型」では、日々、多忙感に満ちている状態のため、本当の気持ちを自問したとしても、現実的に捻出可能なわずかな時間枠で出来そうなことにしか、発想が及ばなかったりします。
人によっては不安の解消を目的とすることが多くなる人もいるでしょう。「資格を取りたい」と思うのは、何者でもない自分が不安だからだったり、「ジムに通いたい」と思うのは、健康診断の結果がよくなかったからだったり。
こうして思いつく「やりたいこと」は、現状を改善するための「義務感」に近いものになりがちです。
では「余白先行型」はというとどうでしょう。捻出した余白は自由な時間です。この連載をお読みいただいている皆さんの中にはお気づきの方もいるかもしれませんが、余白は何をしてもいいし、何もしなくてもいいのです。余白を楽しむために、「義務ではないこと」や「なんとなくやってみたいこと」、偶然に身をまかせる「偶活」を楽しんでもよい時間です。(「偶活」については前回の記事で詳しく解説しています)
やってみて「なんか違うな」と思ったら、余白に戻せばいいだけのこと。
そうやって、自分の思いのまま自由に活動していくうちに、「本当にやりたいこと」に気づく可能性を高めていけると思っています。
睡眠時間を削ってまで、なんとか1日24時間キチキチでスケジュールを組んでいる方も多いかと思いますが、ぜひ「余白先行型」を少しイメージして実践してみてください。もしかしたら、いま考えている「やりたいこと」とは違うことに出会う人もいるかもしれません。
自分の心の声に寄り添うためにも、本当にやりたいことをやる人生にするためにも余白ライフを満喫してもらえたらうれしいです。
配信: 幻冬舎Plus
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