元日本テレビ記者・鈴木美穂、24歳で乳がんになり、闘病を乗り越えママに。がんになっても、自分の人生をあきらめない社会を作りたい

元日本テレビ記者・鈴木美穂、24歳で乳がんになり、闘病を乗り越えママに。がんになっても、自分の人生をあきらめない社会を作りたい

美穂さん流世界一周旅行の仕上げは、家族3人で

――美穂さんのInstagramには、家族で海外旅行に行った写真も投稿されています。

美穂 娘が生後6カ月のときにハワイに行き、1歳になってオセアニア、1歳半で北米に行きました。
娘が生まれる前、夫婦で1年の予定で世界一周旅行をしたのですが、新型コロナの流行でハワイ、オセアニア、北米を回れなかったんです。それがずっと心残りでした。そのためリベンジで娘を連れて、世界一周で行けなかった国を巡り、私たちの世界一周は完結しました。

コロナ禍で、途中で帰国せざる得なくなったときはかなりショックだったのですが、結果、小さい娘とでも行きやすいような地域が残っていて、「娘と一緒にということだったのかも・・・」と考えたりもしました。家族3人で世界一周の思い出が作れてよかったです。

切除した右胸を見て、娘に「ママ、こっちはないの?」「痛い?」と聞かれた

「娘はまだ幼いので、病気のことはまだ伝えていない」と言う鈴木さん。しかし切除した右胸を見て、子どもなりに心配してくれるそうです。

――娘さんは、美穂さんの病気のことを知っていますか。

美穂 私の乳がんのことと、手術や治療のことは娘にはまだ話していません。でも、娘とおふろに入ると、乳がんで全切除手術を受けた私の右胸をじっと見ることはありました。
2歳半ごろになったある日、2024年の夏ごろのことです。娘から「ママ、こっちはないの?」「痛い?」と聞かれ、「痛いの痛いの飛んでいけ~。あとでばんそうこうはってあげるね」と言われたときには、涙が出そうになりました。
そして、おふろから上がると、いつもばんそうこうを入れているところからばんそうこうを取ってきて、貼ってくれたんです。
その後も、おふろに入るたびに「もう痛くない?」と聞いてくれます。

――乳房再建の手術は考えていないのでしょうか。

美穂 今のところ考えていません。右の乳房を失ったときは本当にショックで、鏡を見るたびに泣いていました。当時は乳房再建をすすめられたこともありました。考え方はいろいろあるとは思いますが、私はこのままでいいかな、と考えています。初めて手術の傷を見たとき夫から「好きだよ。よく頑張ったね」と言ってくれたこともあるからかもしれません。
今では、傷を見るたびに気が引きしまる思いです。
私はつい頑張り過ぎてしまうところがあるのですが、ハードワークが続くと傷がチクチクとうずくんです。傷が「少し休んで」と教えてくれるんです。

――忙しすぎるのはよくないのでしょうか。

美穂 闘病をへて最も注意しているのが、睡眠時間を十分とって、忙しくなり過ぎないようにしていることです。乳がんが見つかった24歳のころは、仕事が忙しくて生活が不規則でした。今は心身の健康のためにも夜12時には寝て7~8時間は睡眠をとるようにしています。

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