実母の死産の体験から「出産時に赤ちゃんが死んでしまうことがある」という思いにとらわれて、どんどん気持ちが落ち込んで・・・【周産期のうつ・体験談】

実母の死産の体験から「出産時に赤ちゃんが死んでしまうことがある」という思いにとらわれて、どんどん気持ちが落ち込んで・・・【周産期のうつ・体験談】

産後うつとは、産後に母親や父親のメンタルヘルスが不調になること。また、周産期のうつは、妊娠・出産を経験したことで母親・父親のメンタルヘルスが不調になることです。
長野県在住の中村茉帆さん(39歳)・大樹さん(41歳)夫婦には、3人の子どもがいます。茉帆さんは3人目を妊娠中にメンタルヘルスの不調を自覚し、信州大学医学部附属病院の村上寛先生が開設する「周産期のこころの外来」を受診。その後、大樹さんもメンタルケアが必要であることがわかりました。
中村さん夫婦に産後うつの体験について聞きました。全2回のインタビュー記事の前編です。

1人目、2人目ともに希望どおりの妊娠。子育てと社会活動で充実した日々を送る

中村さん夫婦には、5歳、3歳の女の子と1歳になったばかりの男の子の3人の子どもがいます。茉帆さんと大樹さんは仕事のつながりで知り合い、結婚したのは2017年のことでした。

「子どもを育てたいと思っていましたが、30歳を過ぎていたので妊娠できるか心配で、産婦人科でタイミング法を受けました。すると幸運なことに2回で妊娠。妊娠中に大きなトラブルはなく、とても順調でした」(茉帆さん)

茉帆さんは助産院での出産を希望していましたが、思わぬ展開になってしまいます。

「2019年5月、予定の9日前に破水してしまい、急きょ助産院に入院。でも、陣痛が来ないため産婦人科のある病院に搬送され、そこで出産となりました。
無事出産できたのは本当にうれしかったです。でも、何がどうなっていたのかわからないまま進み、フォローやサポートが薄かったことが残念でした。しかも『ミルクありき』の病院で授乳時間が決まっているなど、助産院での出産をイメージしていた私の希望や考えとは異なることも多く、入院中はモヤモヤすることも多かったです」(茉帆さん)

「2人で子育てをスタートすることを夫婦で決めたので、里帰り出産はしませんでした。私は育休こそ取らなかったのですが、仕事をセーブして、初めての育児を夫婦で行いました。退院後の大変な時期は、おたがいの両親が通いで手伝ってくれました」(大樹さん)

長女はとくに心配なこともなくすくすくと成長。「そろそろ2人目がほしい」と夫婦で考え始めたころ、妊娠したことがわかりました。

「不調やトラブルはなく、2人目は念願の助産院での出産が実現!助産師さんがていねいにサポートしてくださり、とても満足できる入院となりました。2021年7月のことです」(茉帆さん)

「2人目も里帰り出産をせず、夫婦2人で育児をしました。今回も私は仕事をセーブする形でした。長女が赤ちゃん返りをして『赤ちゃんにおっぱいをあげないで~』と主張することも。私は下の子の世話より長女の相手をメインにして、長女に寂しい思いをさせないことを重視しました」(大樹さん)

茉帆さんは1人目の出産後、妊娠や出産について妊産婦同士が話し合ったり、育児について助産師さんから学んだりすることができる、ライブ配信を何度か企画し、実現していました。

「1人目のとき、妊娠・出産、育児について知らないことの多さに驚き、知っていたら回避できたこともあったのではないかと感じました。当時はコロナ禍で、妊婦さん同士が気軽に会って話せるような状況ではありませんでした。そこで、ママ友の市議会議員と一緒に、妊産婦さんのためのオンライン講座を定期的に開くことにしたんです。仕事ではなく無償の社会活動です。
2人目の産後もかなり活発に活動していました」(茉帆さん)

3人目を妊娠。3人目が死産だった実母と自分のことを重ねてどんどん不安に・・・

2人の娘の子育てをしながら、とてもアクティブに活動していた茉帆さん。3人目もほしいと考えるようになったころ、夫婦で話し合い、茉帆さんの両親が暮らす安曇野市への引っ越しを決めました。

「それまでは親子4人で、私の会社がある市に住んでいました。でも、子どもが3人になったら、親2人だけだと大人も子どもも余裕がなくなるだろうなと思い、妻の両親と祖母が住む家で同居することにしたんです」(大樹さん)

安曇野市に引っ越したあと、3人目を妊娠した茉帆さん。妊娠の経過は順調でしたが、「予定日の3カ月くらい前から精神的な苦しさが強まっているのを感じた」と言います。

「実は私の母は3人目の子どもを出産時に亡くしています。難産で、分娩時に低酸素状態が長く続いたのが原因だったようです。母にとって私は1人目の子どもで、2人目は男の子。3人目も男の子だったので、私には下の弟でした。3人目が亡くなったとき私は5歳。生まれるはずだった赤ちゃんが死んでしまったことは、理解していました。

詳しい話をいつ聞いたのか覚えていませんが、『出産時に赤ちゃんが死んでしまうことがある』ということが、ずっと心の中に残っていました」(茉帆さん)

茉帆さん自身の3人目の出産が近づくにつれ、そのことが心の中でどんどん大きくなっていきました。

「振り返ってみると、1人目を妊娠したときから『私か子どもが死んでしまうことがあるかもしれない』と、心の片隅では考えていたんだと思います。でも、強い心配や不安を感じるほどではありませんでした。

でも、3人目の妊娠後期に入ったころ、母の死産の経験と重なってしまい、終わりのない落ち込みを感じるように、娘たちとかかわることをしんどく感じたり、すぐに涙が出るようになったりしたんです。

講座の企画などの活動がひと段落し、緊張の糸がゆるんだ時期でもありました。そういうことも関係していたのかなと思います」(茉帆さん)

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