アリシーの3月特集は「想いを文字にしてみる」。3月11日の“コラムの日”にちなんで、人気作家やコラムニスト、ライターなど様々な方々に“卒業”をテーマとしたコラムを依頼。アリシーでも連載中の漫画家・さわぐちけいすけさんにも寄稿いただきました。
私は2019年3月22日に20代を卒業する。つまり30歳になる。
平成1年生まれの私は平成とは幼馴染だ。そして今年は元号が変わる。つまり20代と平成を卒業することになる。
……という文を書いてみると「卒業」は「終わって始まる」とも言い換えられると思う。20代が終わり30代が始まる。平成が終わり新しい元号が始まる(何になるんだろうね)。
今回の「卒業」というテーマが提示された時、思い浮かぶのは小学校や中学校を卒業するという言葉だけだった。煙草を卒業するとか子育て卒業とかカップルを卒業(結婚か別離)とか、比喩的に使うことを期待されているのだろうということはすぐに分かる。しかし敢えて「卒業する」という言葉に言い換える必要のあるものが浮かばない。
悩んでばかりの自分から卒業。
子育てを卒業(子離れ)。
AKBを卒業(グループ→個人)。
会社員を卒業して独立。
などなど、卒業と表現する人を見ていると「自分を鼓舞するための表現」という印象も受ける。
「煙草をやめる」=「好きだった煙草を単に我慢して生きていく」
「煙草を卒業」=「煙草をやめた分の時間やお金を別のことに有効活用して頑張る」
そんな言葉のイメージの違いがあるのではないかと思う。などと偉そうに分析しておきながら結局、自分が最近「卒業したこと」も「卒業したいこと」も思い浮かばない。おそらく私が「やめる」という言葉にネガティブなイメージを抱くどころか好んで使う傾向にあるため、「卒業」と言い換える意味が無いのが原因と考えられる。
「やめたやめた、向いてない」そうやって逃げるのが好きだ。「卒業する」なんて、そんな立派な話じゃない。諦めたり疲れたりなんか嫌だったり面倒臭かったりつまんなかったり、色んな理由で多くのことを堂々とやめてきた。
せっかく新しいことを始めても(たとえそれに必要な物資を買い揃えたとしても)やめる時もあった。そうやって気軽にやめる分、気を付けていたのは「始める時も気軽に」ということだ。
何か新しいことを始める時、どうしても気合が入る。前にやめてしまったことを再開する時も気合が入る。気合が入る、と表現すると聞こえは良いが要はただ力んでいるだけだ。体はこわばり、心の中でハードルが上がり、汗は流れ、手は震え(……大げさか)たりはしないけど。
もしあなたが何か「卒業したい」と思うならそれは「やめたいこと・始めたいこと」がある状態に近い。やめたいことをやめられて、始めたいことを始められたらそれは明らかに成長であり、喜ばしいことだ。「卒業した」と思えることが最近あったのであれば、新しいスタートを切ることができた証と言える。
さて、グダグダ書いている間に思い出した。私は最近「毛玉のついた服」から卒業した。どういうことかというと、100円ショップで毛玉取り機を買ったのだ。単三電池2つで動くやつ。
今まで私にとって服は寒さを防ぐ道具でしかなかったため、毛玉があってもシワがあっても気にしなかった。でもここ数ヶ月で人前で話す機会が増えたため、少しは気を遣った方が良いよな、と思ったのがきっかけである。
あれは面白い。お気に入りのパーカーの首元についていた毛玉がゴッソリ取れてキレイになった。あまりに面白かったので他の服も全部引っ張り出してキレイにした(そんなに毛玉が多くなくてがっかりしたけど)。
毛玉取り機の中で固まったビー玉サイズの毛クズの塊は、雪山で遭難して火を起こそうにも火種がなくて困っている人に自信を持って渡したいくらい立派な物だった。あの満足感は今でも覚えている(最近の話な上に忘れていたけど)。
「~をやってみたい」という強く激しい想いが伴わないと「新しいことを始めたとは言えない」と考えている人が時折見受けられるのだけれど、私はもっと舐めてかかっても良いのではないかと思っている。先ほどのくだらない毛玉の話だって十分に「今までの習慣をやめて新しいことを始めた話」、つまり「卒業した話」だ。
そういえば小学校の頃を思い出していただくと分かるけど、卒業するのに一歩踏み出す勇気なんて要らなかった。卒業式が勝手にやってきて、あっさりと過ぎて行く。恐れていても苛立っていても楽しみにしていても、卒業の時は訪れる。淡々とした流れ作業の中で一人ひとりが勝手に色々な気持ちを持て余していたように思う。
大人になった今、卒業式は無いけれど何かを卒業する瞬間はたくさんあるのだろう。周りから見たら劇的な変化ではないかもしれないけど、自分にとっては大事な変化の瞬間があるのだろう。
これから起こりうる(あるいは起こしうる)卒業が目前に迫っても、躊躇しないような気軽な自分でありたい(そしてこの締まらぬコラムに誰か卒業証書をくれ!)。
(文・絵=さわぐちけいすけ+アリシー編集部)
平成1年生まれの私は平成とは幼馴染だ。そして今年は元号が変わる。つまり20代と平成を卒業することになる。
……という文を書いてみると「卒業」は「終わって始まる」とも言い換えられると思う。20代が終わり30代が始まる。平成が終わり新しい元号が始まる(何になるんだろうね)。
今回の「卒業」というテーマが提示された時、思い浮かぶのは小学校や中学校を卒業するという言葉だけだった。煙草を卒業するとか子育て卒業とかカップルを卒業(結婚か別離)とか、比喩的に使うことを期待されているのだろうということはすぐに分かる。しかし敢えて「卒業する」という言葉に言い換える必要のあるものが浮かばない。
悩んでばかりの自分から卒業。
子育てを卒業(子離れ)。
AKBを卒業(グループ→個人)。
会社員を卒業して独立。
などなど、卒業と表現する人を見ていると「自分を鼓舞するための表現」という印象も受ける。
「煙草をやめる」=「好きだった煙草を単に我慢して生きていく」
「煙草を卒業」=「煙草をやめた分の時間やお金を別のことに有効活用して頑張る」
そんな言葉のイメージの違いがあるのではないかと思う。などと偉そうに分析しておきながら結局、自分が最近「卒業したこと」も「卒業したいこと」も思い浮かばない。おそらく私が「やめる」という言葉にネガティブなイメージを抱くどころか好んで使う傾向にあるため、「卒業」と言い換える意味が無いのが原因と考えられる。
「やめたやめた、向いてない」そうやって逃げるのが好きだ。「卒業する」なんて、そんな立派な話じゃない。諦めたり疲れたりなんか嫌だったり面倒臭かったりつまんなかったり、色んな理由で多くのことを堂々とやめてきた。
せっかく新しいことを始めても(たとえそれに必要な物資を買い揃えたとしても)やめる時もあった。そうやって気軽にやめる分、気を付けていたのは「始める時も気軽に」ということだ。
何か新しいことを始める時、どうしても気合が入る。前にやめてしまったことを再開する時も気合が入る。気合が入る、と表現すると聞こえは良いが要はただ力んでいるだけだ。体はこわばり、心の中でハードルが上がり、汗は流れ、手は震え(……大げさか)たりはしないけど。
もしあなたが何か「卒業したい」と思うならそれは「やめたいこと・始めたいこと」がある状態に近い。やめたいことをやめられて、始めたいことを始められたらそれは明らかに成長であり、喜ばしいことだ。「卒業した」と思えることが最近あったのであれば、新しいスタートを切ることができた証と言える。
さて、グダグダ書いている間に思い出した。私は最近「毛玉のついた服」から卒業した。どういうことかというと、100円ショップで毛玉取り機を買ったのだ。単三電池2つで動くやつ。
今まで私にとって服は寒さを防ぐ道具でしかなかったため、毛玉があってもシワがあっても気にしなかった。でもここ数ヶ月で人前で話す機会が増えたため、少しは気を遣った方が良いよな、と思ったのがきっかけである。
あれは面白い。お気に入りのパーカーの首元についていた毛玉がゴッソリ取れてキレイになった。あまりに面白かったので他の服も全部引っ張り出してキレイにした(そんなに毛玉が多くなくてがっかりしたけど)。
毛玉取り機の中で固まったビー玉サイズの毛クズの塊は、雪山で遭難して火を起こそうにも火種がなくて困っている人に自信を持って渡したいくらい立派な物だった。あの満足感は今でも覚えている(最近の話な上に忘れていたけど)。
「~をやってみたい」という強く激しい想いが伴わないと「新しいことを始めたとは言えない」と考えている人が時折見受けられるのだけれど、私はもっと舐めてかかっても良いのではないかと思っている。先ほどのくだらない毛玉の話だって十分に「今までの習慣をやめて新しいことを始めた話」、つまり「卒業した話」だ。
そういえば小学校の頃を思い出していただくと分かるけど、卒業するのに一歩踏み出す勇気なんて要らなかった。卒業式が勝手にやってきて、あっさりと過ぎて行く。恐れていても苛立っていても楽しみにしていても、卒業の時は訪れる。淡々とした流れ作業の中で一人ひとりが勝手に色々な気持ちを持て余していたように思う。
大人になった今、卒業式は無いけれど何かを卒業する瞬間はたくさんあるのだろう。周りから見たら劇的な変化ではないかもしれないけど、自分にとっては大事な変化の瞬間があるのだろう。
これから起こりうる(あるいは起こしうる)卒業が目前に迫っても、躊躇しないような気軽な自分でありたい(そしてこの締まらぬコラムに誰か卒業証書をくれ!)。
(文・絵=さわぐちけいすけ+アリシー編集部)
さわぐちけいすけ
絵や漫画を描く人。 岩手県出身29歳。複数連載中です。
絵や漫画を描く人。 岩手県出身29歳。複数連載中です。
女性向けに情報を発信するWebメディア「アリシー」は、2019年6月13日をもってサービスを終了しました。グルメやファッション、マンガ・エッセイなどアリシーの一部コンテンツは、姉妹サイト「ママテナ」に移管しております。引き続きお楽しみください。
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