子育てもある程度慣れてきた頃、
ベルギー人の夫は遠くの宇宙でも見つめるようにたそがれるようになりました。
まぁ人間ならそういう時期はあるよねと、あまり深く考えないようにしていたら…正直な夫の衝撃の告白がありました。
それは自分は子どもが好きで子どもと一緒にいると楽しいし幸せだけど、「こんなハズじゃなかった」と思っているということ。
買い物やオムツ替えは頼まれればやるけれど、こんなに頻繁に頼まれるとは思っていなかったこと。
子どもと一緒に遊びたいけど、それは4歳くらいになった子どもとカードゲームなど知的な遊びで、つねに体を使って外で遊ぶ遊びはやりたくなかったこと…。
そもそも妻は日本人なのでほとんど全てのことをやってくれると思っていたこと…。
子育ての全てを知っているかのように振舞ってきた夫の口からそのような言葉を聞いた私の驚きは筆舌に尽くし難かった。
そして「日本人だから全てやってくれる」という言葉のパワーはあっという間に私をも宇宙の彼方に吹き飛ばした。
彼は知っていたはずであった。
国際結婚をして相手の国で生活し子どもを育てるということは、家族や友人仕事をまるっと失うだけでなく、相手の文化圏になじむためにありとあらゆるアイデンティティーを犠牲にしなければならないということを。
買い物ひとつするのにもある種のストレスがあるということを。
時差があるため国際電話も気軽に使えず日本語を話す相手は本当に赤ん坊だけであったということを。
実母が亡くなったばかりで、「メールで相談する」ことすら不可能なことを。
そんな人間に「日本人だから全てやってくれると思っていた」と彼が「言える」ということがとてもショックだった。
彼は知らなかった。
そういう人間だからこそ、今度は相手のことをすっぱり切り離して子どもとともに母国に帰る覚悟がいつでもできていることを。
むしろ「望むところだ」と闘志を燃やすということを。
「手伝いならいらない。率先して戦ってくれる相手でなければ一緒にいるつもりはない」とハッキリ言う人間だということを。
…というわけで彼は新たにイクメンとしての自覚をさらに強化する選択をした。
さすがイクメンの国のイクメンである。
しかし、その時の件で子どもに優しい国でも男性の心の中はどこも似たようなものかもしれないと思った。
ヨーロッパだからイクメンの国だからと色眼鏡をかけず、「実は苦手だったけど頑張って子育てをしている」という部分を賞賛したい。
私もそうだったが、彼も経験不足だったのだ。
私たちの育児はまだ始まったばかり。
彼と一緒に、気持ちを新たにベルギー育児を頑張ろうと思いました。