子どもが生まれて、子どもを通して仲良くなる友達「ママ友」。
そんなママ友同士で会ってお話しする「ママ会」で共感してないのに「わかるわかるー」と言ってしまうことってありませんか?
ママ会のあとはなんだかドッと疲れが出てしまったり、「私コミュ障なのかなぁ…」とちょっと落ち込んだり。
どうしてこうなってしまうのか、前回の「サービスレベル」という言葉を使って考えて見たいと思います。
前回の記事で書いたように仕事には
「それをやらなくては仕事として成立しなくなる」=「当たり前部分」と、
「やらなくてもいいけど、やっておくと喜ばれる」=「付加価値部分」があり、
「当たり前部分」と「付加価値部分」の境目がその仕事の「サービスレベル」と呼ばれるものになるそうです。
例えば牛丼店と高級料理店ではサービスレベルがこんな風に異なります。
<牛丼店の場合>
ご飯を食べられることが「当たり前部分」になります。
もちろん店舗によっては豪華な内装の場所などもあると思いますが、席ごとに給仕がつくことはまずないですよね。
一般的に客はそこまでは求めません。
<高級レストランの場合>
一方、高級レストランの場合は「当たり前部分」としてもう少し高いレベルが求められます。
ご飯が食べられるのはもちろん、豪華食器や内装、給仕係の存在、静かで落ち着いた空間…など、客が要求するサービスレベルも高くなります。
子どもがきっかけで知り合うとお互いの家庭の状況などはほとんど知らないため、仲良くなるまでは探り探りで会話をすることになりますす。そのため、共感をしていなくても「わかるわかるー」となんとなく理解した風で会話をしてしまいがちになるんだと思います。
例えば、漫画の3人にはこんな違いがあるようです。
3人はそれぞれ環境が違うので、それぞれが家事に対して考えているサービスレベルも異なってきます。
前回の記事の通り、 パパは一緒に家事をする仲間同士だからサービスレベルのすりあわせが必要です。
一方ママ友は一緒に家事をするわけではありません。
いわば同業他社なので、 サービスレベルのすりあわせをする必要はなく、お互いのサービスレベルに共感できなくても当たり前です。
ただ、共感していなくても、「わかるわかるー」 でお互いの情報交換をするのは、悪いことではないと思います。
自分の家に活かすこところは活かして、活かせないところは「うちはうち、よそはよそ」で切り捨て。
ママ会でもそんな気持ちでいられるといいのではないかなと思いました。