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公開 2017年06月07日  

夫の愚痴なんて、もうずっと聞いてない気がする/連続小説 第12話

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風呂場で足を滑らせ骨折したことで、入院生活を送るキリコ。お見舞いに来たママ友から、昨日の公園で起きた「小川事件」の内容を聞いて呆れる一方で、自分も満の話を聞くことが減り、相手の気持ちが良く分からなくなっていることに気づく。互いに一歩ずつ歩み寄ろうとし始めたように見えた二人だが、一時保育の預け先選びの件で、キリコと満の間にはまた距離ができてしまうのだった。


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まだ温かな空気が残っている午後三時。

病室の狭い個人スペースにママ友三人と、子どもたち三人がお見舞いに来てくれた。

ママたちは並んだパイプ椅子に座り、子どもたちは側でパックンチョを食べている。

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キリコ 「うわー、ごめんね、迷惑かけて。てかさ、子連れで出かけるのに着替えを持っていかないって、いかに普段、面倒を見てないかってことだよね。呆れるわ。しかもアンパンマンのトレーナーと黄色いパンツってさ、昨日の格好だし。風呂入れてないってことじゃん。呆れるわー、呆れるわー、呆れるわー」

ママたちから「公園の小川事件」を聞き、私は心底呆れている。

文乃  「いやいや、キリちゃんのパパはやってくれてる方だって」

   「うん、うん」

恵美  「そうだよー。うちのパパなんてなーんにもやらないくせに、文句ばっかり言うし。私の小言は聞きたくないとかいうのに、仕事の愚痴は毎日するし」

キリコ 「え、恵美ちゃんの旦那さん、仕事の愚痴とかいうんだ…?」

文乃  「マジか、うちはぜんっぜん言わないな」

   「うちも」

キリコ 「うちもだよ」

   「じゃあ、どこで発散してるんだろうね。キャバクラ?」

文乃  「外の女?」

   「あはは、うちはそんな度胸ない」

恵美  「うちのパパは大きな子供みたいなもんだから。ちゃんと聞いてあげないと拗ねちゃうのよ」

子供たち「おそと行きたい~!」

お菓子を食べ終えた子どもたちがベッドから飛び降り、病室内を走り回り始める。

文乃  「こらこら!」

   「ここって確か屋上庭園があったよね」

キリコ 「そうなんだ」

恵美  「じゃあ、うるさくするとあれだし、連れてっちゃおうか」

文乃  「そうだね。じゃあ、キリちゃんまた来るね」

キリコ 「ありがとう!」

みんなが病室を出て行き、一人になった私はまだ見慣れない天井を見る。

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(恵美ちゃんの旦那さん、愚痴るんだなぁ。でもまぁ…考えてみたら、そうだよね。そりゃ、夫にだって愚痴はあるはずだよね。でもうちのパパは何にも言わないな。なんでだろう。昔はいろいろ話してくれてた気がする。恵美ちゃんと私の違いは…なんだろう。)

なんだかモヤモヤしながらも、夫の話をまったく聞いていなかった自分に気づいて、胸がチクッとしなくもない。

(その後、どうにかやれてるかな?)

ふとスマホを見ると、午前中に夫から着信があったようだ。

キリコ 「保育園のことかな…」

ここは四人部屋ではあるけれど、実際は私と向かいのベッドの二人しかいない。

私は、もう一人の同室の人が面会でオープンルームに出て行ったのを見て、夫に電話を折り返した。
(もう一人の同室人とは「電話はOKにしよう」と話してはあるのだが、一応、気を使っている)

キリコ 「もしもし、電話に気づかなかった」

   「………おう」

夫の声が予想以上に暗かったので、私はなんだか不安になる。

キリコ 「ん? …どうかした? 何かあった?」

   「………熱が出た」

キリコ 「え! 何度? 九度超え? 吐いてない? ほかの症状は?」

   「いや…熱以外は特に。あー、寒気はある。熱は37.5度」

キリコ 「…なーんだ、じゃあ、全然元気でしょ、奏ちゃん。奏ちゃんは八度台だって遊んでるんだから大丈夫(だよ)」

   「いや、奏太じゃなくて、俺ね」

キリコ 「………………は?」

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心配して損した。

キリコ 「あのさ、大人の37.5度なんて微熱でしょ。いや、むしろ平熱の域だよ。我慢しろよって話だよ」

   「………………市役所、行ってきたよ」

キリコ 「あ、どうだった?」

   「認可は一時すら難しいって」

キリコ 「えー…」

   「認可外なら、とりあえず一時保育が可能みたいなんだ。一覧が載った紙を貰ったから写真撮って、メッセで送るからさ」

キリコ 「うーん、送られても。私も認可外保育園のことはよく知らないしなぁ」

   「でもとりあえず見てみてよ。選定はキリに任せるから」

キリコ 「…任せるって。あのさ、私いま入院してるんですけど?」

   「悪いけどいまちょっと頭が回らない。ああ、…奏太が騒いでるから、じゃあちょっと、よろしく!」

夫は一方的に話しを終わらせると、電話を切ってしまった。

キリコ 「…なんなの。入院しても丸投げされるの、私は」

(頭が回らないって37.5 度なのに!? 私が39度超えの高熱を出して辛くて死にそうだった時、ほとんど変わらず仕事してたくせに! 幼稚園はプレに行ってないと入れないかもって散々話しても、幼稚園選びなんて一緒にしてくれなかったくせに! 私にぜーんぶ丸投げしたくせに! さっきまでパパの話をもう少し聞かなきゃとか思ってたけど、やっぱ取り消すわ!その前に私の話を聞けっての!)

苛立ちが止まらない私の目が、テレビ台に置かれているレモンマドレーヌを捉える。
(そうだった! まだ食べてなかった!)

私は救われたような気持ちになり、マドレーヌへと手を伸ばす。

キリコ 「もう少し、もう少し、神スイーツまでもう少し」

マドレーヌの袋に手が触れた瞬間――。

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キリコ 「…いぃぃぃっ!」

腰に激痛が走って、息が止まりそうになる。私は震える手でナースコールを押した。

――プー、プー、プー

呼び出し音が鳴り、駆け付けた看護師が個人スペースのカーテンを開ける。

看護師 「円田さん、どうしました? 痛みますか?」

キリコ 「…あ、あの」

看護師 「先生、呼びますか?」

キリコ 「か、神スイーツ…、取ってください」

看護師 「え?」

キリコ 「あ、そうじゃなくて、マ、マドレーヌ…」

看護師 「え、あー、これ。そんなに痛くて食べられるの?」

キリコ 「は、はい…」

看護師 「そう」

看護師は不思議そうな表情を見せながら、私にマドレーヌを渡し去っていく。

私は荒い息を整えながらマドレーヌの袋を開け、貝殻型のスイーツを口にする。爽やかなレモンの香りと優しい甘さが広がる。
(マドレーヌってわざわざ買ったことなかったけど、なんだか懐かしい味がするんだなぁ。奏太にも食べさせてあげたい)

キリコ 「ふぅ…。うん、いいこと起これ。いいこと起これ……」

さっきまでのイライラが神スイーツのおかげで中和されていくのを感じる。

単純すぎる?いいや、単純でもいいじゃない。

私はマドレーヌの甘さに心底感謝した。

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