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公開 2017年06月27日  

ごめんな。急いでお迎えくるから、待っててな。/連続小説 第18話

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朝、支度に苦労しながらもなんとか奏太を一時保育に預け、数日ぶりの会社に出勤した満。果たしてどんな一日になるのか・・・。


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俺は時計を見てやきもきしながら、暴れる奏太を無理やり着替えをさせている。

預けられる、ということに気づいてしまった奏太は、かなりのご機嫌斜めでまったくいうことを聞かない。

奏太  「やだ! いかないよ!」

   「奏太! お願いだから着替えて!」

奏太  「やだー! やだー!」

どうにか履かせたズボンを即座に脱いでしまう。用意しておいた靴下を廊下に投げてしまう。時間がない。

   「いい加減にしろ!!」

思わず大声を出すと、奏太はそれに負けないくらい大きな声で泣き出した。

もう可哀想とか、優しくしてあげないと、なんて気持ちが吹っ飛ぶほど、余裕がない。

俺は淡々と奏太を着替えさせ、一時保育に必要なものを詰めたバッグを抱える。

自転車に奏太を乗せ、託児所まで走らせた。

「ともだちっこ」は駅前商店街の中にあった。

古びた二階建ての建物の二階部分で、一階は年配者向けの洋品店。

その横に中階段があり、俺はその前で自転車を停めた。

(思ったより年季が入った建物の中にあるんだな…)

一抹の不安がよぎるが、中に入ってみないと様子は分からない。

まだ愚図って不機嫌な顔をしている奏太を自転車から下ろそうとして、その手にプラレールの東西線が一両握られていることに気づく。

   「それ持っていくの? 無くすかもしれないし、パパが持ってるよ」

奏太  「やーだ! やーだ! うわーん!」

   「………」

俺は一時保育に必要なものが入ったトートバッグを肩に掛け、そして奏太を抱き上げると、少し急な階段を上った。

奏太  「やだやだ! 降りる降りる!」

託児所のドアにはうさぎやパンダの絵が描かれていて、それを見た奏太が騒ぐのを止めたので、入り口のインターフォンを鳴らし、名前を告げるとスタッフが扉を開けた。

保育士1「おはよう!」

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明るく優しい雰囲気の女性保育士が奏太の前にしゃがみこんで話しかける。

奏太  「………」

   「おはようございます、だろ?」

保育士1「初めてだもん。緊張しちゃうよね。じゃあお父さん、中でお話がありますので、どうぞ」

   「はい」

中に入ると、すでに10名ほどの子どもたちが保育士たちと遊んでいた。

泣いている子は一人もいなかった。

保育士2「奏太くん、おはよう!」

どの保育士も笑顔が自然で、どこか緊張していた俺も少しほっとする。

それから荷物を預け、必要事項を用紙に書き込んだ。

保育士1「お迎えもお父さんが来る感じですか?」

   「あ、はい」

保育士1「分かりました。基本的にはご家族様のお迎えをお願いしてるんですが、もしほかの方がお迎えに来る場合は事前にお電話ください」

   「はい」

保育士1「お知り合いの方にお迎えを頼む場合は事前の電話連絡と、お迎えに来る方の身分証提示をお願いしています」

   「分かりました」

保育士1「じゃあ17時まで、お預かりしますね」

ずっと俺に引っ付いたまま話を聞いていた奏太は、俺が去ることを察知してしがみつく手に力が入る。

保育士1「奏太くん、電車好きなの? ここにもね、たーくさん電車あるからパパが迎えに来てくれるまで先生と一緒に遊んでよっか。それでね、ここにある電車と奏太くんの電車が一緒になっちゃうとどれがどれだか分からなくなっちゃうから、奏太くんの電車はパパに持っててもらおうね」

奏太  「やだ」

   「奏太」

奏太  「やだ!」

頑なに東西線を離そうとしない奏太から、俺は東西線を取り上げる。

奏太  「あ! ダメ! ダメ! ダメェ…わーん!」

俺の足元で大泣きする奏太を力ずくで剥がすと、保育士が優しく奏太を抱き上げた。

   「じゃあ、すみませんがお願いします。奏太、頑張れ!急いでお迎えくるからな。」

保育士1「はい、お預かりします」

俺は頭を下げると足早に託児所を出た。

奏太の泣き声がずっと聞こえて罪悪感のようなものが生まれる。

それと同時に、どこかホッとしている自分もいることに気づく。

(奏太、ごめん…。奏太はかわいい。でも24時間世話をするのは大変で…ほんの一時間でもいいから休みたくなる。キリもきっと…)

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不安な気持ちと身軽さを感じながら、俺は南北線に乗り込んだ。

会社は白金台駅にある。駅を降りて緩く長い下り坂を歩く。

会社は六階建ての白いマンション内に二部屋借りていて、俺がいる事務所は2LDKの広さ。

数日ぶりに出社し、いつものデスクに座る。

ケンゾーが色々とやってくれていたみたいだけど、やっぱり仕事は溜まっている。

事務所にあるコーヒーメーカーで作った濃いコーヒーを飲んで気合いを入れ、俺は仕事をこなした。


◆◆◆


お昼近く、クレーム処理を終えたケンゾーが事務所に顔を出すと、社長が俺とケンゾーをランチに誘った。

出来れば一人で食べたいけど、仕方ないか。

俺とケンゾーは社長に連れられて、古くからやっている定食屋「八栄」に向かった。

古びた店内はサラリーマンやOLで混んでいて、俺たちは二階の座敷席に通された。

社長とケンゾーは日替わりのアジフライ定食を頼み、俺は焼きサバ定食を頼んだ。

どんどん食べすすめる二人に、箸が追いつかない。

というか、奏太のことが気になって仕方ない。

(考えてみたらいつもご飯の時は、俺かキリが食べるのを手伝ってるよな…。奏太、ちゃんとお昼ご飯食べられるのかな…。保育士が手伝ってくれるよな…?)

チラリとスマホを見ても託児所からの着信はなかった。

(とにかく今日は早く迎えにいけるようにしよう…)

社長  「満、今日のスケジュール見たよな?」

   「…あ、はい。…あ、セノーチェの撮影が入ってましたね。驚きました」

ケンゾー「昨日、急な依頼が入ったんですよ。今、秋キャンプのウェア撮影をしていて、別のところにスタイリング頼んでたみたいなんですが、何かトラブルがあったみたいで」

   「そうなんだ」

社長  「前回うちも迷惑かけてるし、チャンスをもらったって感じだな。ケンゾー、頼んだぞ」

ケンゾー「はい。俺は午後一の撮影から直接、千葉のキャンプ場に向かうので、今日アシスタントで入る尾上と北野によく伝えておきます」

社長  「尾上か…。あいつセンスはいいんだけど、ちょっと抜けてるところあるからなぁ」

ケンゾー「そうですね…」

社長  「前々から満には話してたんだけど、アシスタントのミスがちょっと多すぎてな」

ケンゾー「はい」

社長  「この業界、同じ職種同士の足の引っ張り合いはないけど、やっぱり評判は広がっちまうし、困ったもんだよ。使えないスタイリストを切ればいいって話でもない。育てないと先がないからな」

ケンゾー「はい」

社長  「でもこのままで会社がつぶれたら元も子もない。これ以上ミスが続いてマイナスばかり増えるようなら今いるスタッフを抱えきれなくなるかもしれない」

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ケンゾー「………」

社長  「まぁそうならないように、今日のセノーチェをしっかりやって次に繋げてくれよ」

ケンゾー「…はい」

社長  「あー、満は今日16時上がりだったよな?」

   「はい、すみません」

社長  「いや、嫁さんが入院してるんだから仕方ないさ。満が帰る頃に入れ替わりで園田が電話番で事務所に戻るから」

   「分かりました」

社長  「俺はこれから出ずっぱりで直帰だからよろしく。あー腹いっぱいになった。先に出るわ」

社長は全員分のお昼代を置いて、席を立った。

するとケンゾーが両手を畳について、「あー」と声を出す。

ケンゾー「婚約したっていうに、会社つぶれるかもとか凹むわー。結婚止めようかな」

奏太のことばかり考えていた頭が、ケンゾーの言葉で我に返る。

   「…おいおい、そんな軽い気持ちで婚約したのかよ」

ケンゾー「軽い気持ちじゃないですよ。さっちゃんがいいなって思ってますよ」

そう言ったあと、少しの間があり、ケンゾーは髪をクシャクシャっと掻く。

   「なに?」

ケンゾー「いや……いろいろ理想とは違うなぁと思うことが、ここ最近多くて」

(あー…早智ちゃんの服装とか、部屋とかね)

   「…そもそもさ、なんで早智ちゃんと結婚しようと思ったの」

ケンゾー「え?」

   「ケンゾーくん、まだ若いし、モテそうだしさ」

ケンゾー「そうですねー。…さっちゃんは、良妻賢母になってくれそうな気がして」

   「良妻賢母…」

ケンゾー「俺の父親、投資銀行の役員なんですけど」

   「へー、すごいね」

ケンゾー「それって、うちの母親がしっかり父を支えてたからなんですよ。俺も仕事で成功したいし、ならば良き見本である父の真似をしようと。父も二十代後半で結婚したんです」

   「息子に見本にされるなんて、理想だね」

ケンゾー「そうなんです、理想なんです、両親。ぜんっぜんケンカしないし。もめないし。ちなみに満さんはキリコさんのどこが良かったんですか?」

   「え…まぁ、キリのお父さんに、もう何年も付き合ってるけど結婚はどうするんだ? って聞かれて…」

ケンゾー「えー、そんな理由で決めたんですか?」

   「もちろん、それだけじゃないけどさ」

ケンゾー「まあとにかくつぶれた時の保険で、どっか転職先を考えておこうかなー。会社はここだけじゃないし、独立のためにもっと経験詰めることを探すのもありかも。満さんは前職、アパレルの店長でしたよね? 経験あるし、そこに戻れるんじゃないですか?」

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ケンゾーの言葉にふっと息を吐く。

(ケンゾーくんは俺の10個も下だもんな。俺も26歳の頃はそんなもんだった。その軽さが眩しくもあるけどね)

   「……そんな簡単じゃないよ。転職も結婚も。理想と違っちゃう場合のが多いしね。それでも続けていく、っていう自信持てないなら、やめた方がいいよ、結婚」

ケンゾーは顎に手を当て、頭を傾げる。

ケンゾー「そういうもんなんすかねえ。夫婦って、両親のイメージしかないからなあ。ほんと、喧嘩したところ、見たことないんですよ」

俺は完食を諦め、箸を置く。

   「ケンゾーくん。もめない夫婦なんていないよ。子供に見せないだけ。君のご両親がうまくいっていたのならなおさら、二人はいつも色んなことを話し合ってたと思う。沢山話して、時にはぶつかって。それが夫婦だよ。赤の他人同士が一緒になるのは、そんなに簡単なことじゃない」

ケンゾー「そういうもんなのかな…」

腑に落ちない様子のケンゾーを見て、俺はふっとため息を吐くように笑ってしまう。

(また偉そうなこと言っちゃったな、俺。自分のことは棚に上げまくりだ)

ケンゾー「なんですか?」

   「…いや、偉そうなこと言ってるけど、うちもちゃんと話せてるのかなって。相手と向き合わないとね」

ケンゾー「そうなんですか? 仲良さそうに見えるけどな、満さん家族」

   「他人には見せないもんでしょ、そういうの。あとさ、俺、転職は絶対しないよ」

ケンゾー「どうしてですか」

   「それはさ…」

俺はケンゾーに、家族に対する想いを話した。

昨夜は早智ちゃんに育児の愚痴を話した。

でも肝心の相手にちゃんと話せていない。

口げんかにならずに話すにはどうしたらいいんだろう。


◆◆◆


定食屋を出てケンゾーと別れたあと、午後も俺は仕事を黙々とこなした。

(久々の出社で早めに帰るのは心苦しいけど、どうにか定時で会社を出ることができそうだな)

と、思っていたのに――。

15時にそれは起こった。事務所の電話が鳴り、掛けてきたのはケンゾーだった。

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連続「夫婦の言い分」 #18
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