それぞれさまざま、手持ちの力で
「よその子と比べちゃうのは、親失格?」葛藤を救ってくれる考え方
18,932 View『親になるまでの時間』(「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」115号・116号。ジャパンマニシスト社)にはよりよい家族であるためのヒントがあふれています。
著者の浜田寿美男先生が、発達心理学のあり方を見つめ直しながら綴る、「個性」「発達」「親と子」。本書の一部をご紹介いたします。
「人間」とか「こども」とか、大雑把にひとくくりでいっても、実際は人もさまざま、こどももさまざまです。
人間も自然のひとつ、そして自然はみな多様なものですから、なにかの物差しで測れば、みんなそれぞれです。
たとえば身長という物差しで測れば、同じ年齢でも、すごく背の高い子もいれば、すごく背の低い子もいて、まんなかくらいの子がいちばん多い。
それが自然です。
親になると、「よその子とちがう」ということを気にしがちですが、実際はちがわないほうがおかしい。
それにしても、「よその子とちがう」というとき、この「ちがう」ってどういうことでしょうか。
こどもはみな別々の人間ですから、どの子をとっても「それぞれにちがう」のがあたりまえです。
そのうえで、わざわざ「よその子とちがう」というのですから、ここで「ちがう」というのは、だれもがみんな「それぞれにちがう」というのとは別の話のようです。
「みんな”が”ちがう」と「みんな”と”ちがう」
うちの子は「よその子とちがう」というとき、じつは「よその子」というのをひとまとめにして、「よその子はみんな同じ」、だけどそのみんなとくらべて、「うちの子だけはちがう」ということですね。
平たくいいかえれば「みんな○○なんだけど、うちの子は××だ」ということ。
たとえば「よその子はみんな歩いているのに、うちの子はまだ歩けない」とか、「よその子はみんなしゃべっているのに、うちの子はまだしゃべれない」とか。
あるいは「よその子はみんないっしょになって遊べているのに、うちの子はぽつんと一人で遊んでいる」とか……。
先の「ちがう」は「みんな”が”ちがう」ということだとすれば、ここでのそれは「みんな”と”ちがう」ということです。
問題は「みんな”と”ちがう」ときですが、ここでも「みんな”が”ちがう」というところを忘れないでおくことが大事です。
発達心理学では、とかく「みんな」のふつうを標準の物差しにして、それと同じか、ちがうかということでこどもを見がちです。
だけど、それはせいぜい育ち具合を見るための目安程度のことで、よその子とくらべてどうなるわけではありません。
そうはいっても、よその子にくらべて育ちが遅れていれば、気になるのも自然なことです。
そんなとき安心して相談できる人がいれば助かります。
ただ、医者や発達相談員のような専門家のなかには、親以上に遅れや障害を問題にして、そこだけを取り出して見る人たちがいて、かえってしんどくさせられてしまうことがあります。
専門家はいろいろなケースを見てきてはいるのでしょうが、問題を生活のなかで考えるという視点に欠ける人たちが少なくありません。
発達というと、知能テストや発達テストで測られるような力が一つひとつ身についていくことだと考えて、よその子よりちょっと遅れていると、とにかく年齢相応の力を身につけることに必死になったりしがちです。
しかし、それでは親も子もきゅうくつです。
大事なのは、身につけたその力で、それぞれにどういう生活をくり広げていくかということであるはずですが、案外、このことが忘れられています。
大切なのは力の伸びそのものではない
身体をたずさえて生きている生き物は、みな、その身体にそなわった手持ちの力で生きています。
これはあたりまえのことです。
もちろん、今日はまだ身についていない力が、明日になれば身についているかもしれません。
しかし、明日身につくかもしれない力で今日を生きるわけにはいきません。
多い少ないにかかわらず、だれもがいまの手持ちの力を使って、それぞれの生活世界をつくりあげていくしかないのです。
私たちにとって意味があるのは、その生活世界のありようであって、力の伸びそのものではありません。
あえていえば、人は発達のために生きているのではありません。
どんなにささやかであれ、手持ちの力を使って生き、それぞれの生活世界を広げていく。
新しい力が生まれてくるとすれば、それはその結果でしかありません。
たとえば、ことばがまだ出ていない子に、とにかくことばの力を育てたいということでカンカンになるよりは、ことば以前の手持ちの力を使ってしっかりコミュニケーションしていく、そのほうがはるかに自然です。
ことばが生まれてくるとすれば、それはむしろ、そうして手持ちの力を使って十分にコミュニケーションをした結果なのです。
よその子とくらべて、うちの子は遅れているとかいった比較の目でこどもを見るのは、おそらく学校制度ができた近代以降のことです。
そんなふうに純粋に力の伸びそのものを競うのではなく、こどもたちがそれぞれの力で生活を楽しみ、自分なりの世界をくり広げているかどうか、また親としてこどもにその手持ちの力を使う機会を十分提供できているかどうか、そう考えたほうがずっと自然ですし、楽です。
発達はその結果としてやってくる。
そう考えれば、「みんな”と”ちがう」という強迫的な見方ではなく、「みんな”が”ちがう」というあたりまえの見方におちつけると思うのですが、どうでしょう。
こういっても、現実のこの世の中、そう簡単にはいきません。
親子が世間とのあつれきに思い悩んだとき、こどもたちの「発達」という領域を生業とする私たちがその支えになれるかどうか。
今度は私たちが問われる番です。
(「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」115号『親になるまでの時間・前編』より)
※この記事に使用した画像は"写真AC"のものを使用しております。
「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」115号『親になるまでの時間・前編』
「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」116号『親になるまでの時間・後編』
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