真由美 「これまでお店のことばかりで、奏ちゃんのお世話とか全然手伝えなくてごめんね、キリコちゃん」
キリコ 「いえ…」
真由美 「これからは家で暇してるだけなんだし、いつでも川口にお手伝い行けるからね。奏ちゃんともいっぱい遊びたいし。何でも言ってね」
キリコ 「ありがとうございます…」
ミノル 「ずーっとここにいたからな、色んなところに旅行したいなぁ。家族で行くのはどうかね、皆さん。全国ラーメンの旅」
風真 「けっきょくラーメンかよ。別のモノが食いたいわ」
キリコ 「あははっ!」
思い切り笑ってしまい、慌てて風真から目を反らすとツヨシが夫の腕を突いた。
ツヨシ 「ところで、なぁ」
満 「…なに?」
またはじまった。
私は聞こえないふりをして、キープしたままの作り笑顔でサツマイモの天ぷらを食べる。美味しい。
ツヨシ 「お前ももうアラフォーの仲間入りだし、家はどうすんだよ」
満 「またその話か。今住んでるあたりで探してはいるからさ。内見してるよ。ね? キリ」
キリコ 「うん…」
私は夫を見ずに答えた。この会話に巻き込まないで!
ツヨシ 「え…埼玉に家を買うって本気なの?」
満 「まぁね」
ツヨシ 「なんの縁もゆかりもないのに?」
満 「だからさー、そんなもの地元以外ないよねって言ってるよね?」
ツヨシ 「だーかーらーさー、じゃねえよ。いっつも言ってんだろ。地元に家を建てればいいんだよ。親父たちもどんどん年取ってくし何かあった時に兄弟が近くに住んでた方がいいだろ?」
満 「それはそうかもしれないけど…地元以外に家を買ってる人なんていくらでもいるでしょ?」
そーだ、そーだ。私は机の下で小さくガッツポーズをした。
ツヨシ 「いやいやいや、ここら辺のやつらは帰ってきてるから」
満 「戻ってきてるのはみんな長男じゃん。俺は次男だよ? うちは兄ちゃんがしっかり実家を継いでくれてるから安心だよ。ありがと、にいに」
話をはぐらかそうとした夫がツヨシの肩を叩くと、ツヨシが強引に夫を抱きしめた。
ツヨシ 「満~! お前が遠くに家を買ったらさ、よぼよぼのおじいさんになったら年に数回ですら会えなくなるかもしれないんだぜ? 寂しいよー、寂しいよ、兄ちゃんは。お前は平気なわけ?」
満 「酒くさいからやめてくれます?」
嫌がってツヨシから離れようとする夫を助けようと奏太が走ってきた。あーあ、行っちゃったよ。正義の塊・三歳児。
奏太 「パパがやめてって言ってるよ! やめて!」
果敢にツヨシに向かって行った正義の塊は呆気なく捕まってしまう。
ツヨシ 「あー、奏太のお肌つるつる。可愛いなぁ」
奏太 「わ~! パパ、助けて~! ママ~!」
がんばれと心の中で応援しながら巻き込まれないように、続いて刺身を食す。うんまい、この白身魚。
ツヨシ 「こーんなカワイイ奏太にさ、お前たち2人の老後の面倒を1人でさせる気なの?」
満 「え?」
ツヨシ 「なーなー、キリコちゃんも聞いてー」
私はピクリと体を震わせ、ロボットの動きのように首をツヨシの方に向ける。
キリコ 「………はい」
ツヨシ 「このまま奏太が1人っ子だった場合、そうなるよね?」
キリコ 「…ですね」
ツヨシ 「だけどさ、うちの息子たちが近くにいればさ、奏太よりもお兄ちゃんなわけだし、色々と助けてやれると思うんだよ。そうだろ? 地元に家を買うってことはさ、俺ら世代が死んだときだって奏太にとっても安心なんだよ」
満 「そんなこと言ったって…。こっちに俺がやってる仕事があるわけないじゃん」
キリコ 「…パパももうアラフォーだしね。…異業種に転職は難しいよね」
ツヨシ 「…それは…そうだけどよ」
キリコ 「それに奏太の幼稚園ももう…」
千晶 「ここら辺になくても、名古屋にはあるんじゃないの?」
もうひと押し…というところで、さらに強い敵が現れてしまった。
満 「………」
キリコ 「………」
ツヨシ 「そうだよ! みんな名古屋に通ってるよ」
あぁ、作り笑顔がキープできる時間が切れてしまう。カラータイマーが赤く点滅している!
真由美 「もうやめなさいよ。キリコちゃんが困ってるでしょ」
追加の天ぷらを持ってきた真由美が援軍として現れた。
千晶 「でもキリコちゃんのお仕事はどこにいてもできるって満くんも言ってたし」
キリコ 「あぁ…まぁ…そうですね」
千晶 「私も満くんたちが近くにいたら嬉しいな。GWとか、年末年始とか連休はおぼろさんも混むし、何でもない時にゆっくり会えたらって思うもん」
キリコ「………」
『そうですか。あなたたちの気持ちは分かりました。では言わせてもらいましょう。
プレに通っている川口つばさ幼稚園に、もうすでに願書を出しました。
それに私の実家は栃木県です。
私たちが、そんなもろもろをひっくるめても岐阜に家を買うメリットが何かありますかね? あるなら教えていただきましょう』
なんて言えるわけもなく、私は黙って海老の天ぷらを口に押し込んだ。
キリコ 「…あぁっ! …ああついぃ」
まさか1ヶ月後、私たち夫婦の人生を左右する選択を迫られることになるとは夢にも思わずに――。