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公開 2018年11月18日  

長男の誕生は、私に最後の親孝行をさせてくれた <投稿コンテストNo.90>

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初めての出産も育児も、お母さんに助けてもらえば乗り越えられると考えていたはるかさん。しかし、出産当日、はるかさんの横にお母さんの姿はありませんでした……。

出典:http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10736005826

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長男妊娠時はまだ夫と同居しておらず、正直まさかの妊娠でした。

実家で暮らしていたため、妊娠発覚後間も無く始まる悪阻時期も、具合が悪くなればベッドに横になる。何か食べたくなれば、母が食べられそうなものを作ってくれる。

体調が良い日は、母と自宅でなんでもないおしゃべりを楽しんだり、友人とランチに出かけたり…ゆったりとしたマタニティ生活を送っていました。

本当にこんな私が母になれるのかな、出産怖いな、産後も実家に居るし、母にたくさん教えてもらおう、助けてもらおう!と、なんとも他力本願…というか母ありきの産後ビジョンでした。


秋、夫の仕事の都合でだいぶ先延ばしにしていた新婚旅行へ。体調を考慮して国内旅行、正直海外にも行ってみたかったので残念な気持ちもあったけれど、とても楽しい旅行でした。その後、姉の結婚式と、幸せな時間が続きました。

姉の結婚式から帰宅後、母から「検査入院をする」と聞きました。今まで風邪もひかず、病気とは無縁と思っていた母だったので、いきなり検査入院なんてびっくりしました。

「大丈夫だよ、出産に向けて体調整えるために少しだけだから。」と母は言っていたし、本人に自覚症状がなかったため、本当にそのつもりだったのだと思います。

しかし、検査入院から帰れる病状ではなく、そのまま他の病院へ転院。辛い治療が始まったのです。私もいてもたってもいられず、片道約約1時間ほどの病院へほぼ毎日のようにお見舞いに行きました。

病状が悪化することもあり、体力よりも精神的に辛い日々が続きました。毎日毎日泣いて、不安で胸が苦しくて、お腹にいた息子には相当な負担をかけていただろうと思います。


年明けに無事出産をしたときも母はまだ入院中でした。家族の支えがあって産まれた長男、本当は母に1番に見せてあげたかった。

電話で何を話したかな、その時の記憶はあまりありませんが、母の声を聞いて安心し、涙が止まらなかったことは覚えています。

そして、早く会いたい、早く元気になってと心から思いました。この子がきっと、幸せを運んでくれる、母を病気から守ってくれる…と。


念願叶い、長男が生後2ヶ月の頃、母は退院。長男に会うことができました。久々に会えた母は私がお見舞いに行っていた頃とは違い、痩せ細っていました。大病だし、辛い治療を乗り越えたのだから仕方ない、これからだ!と信じて止みませんでした。


しかしながら、そんな幸せな時間は長くは続きませんでした。もっともっとこの子が大きくなるのを一緒に見てほしかった、私が母として成長する姿を見てほしかった、話をしたかった、助けてほしかった。母を幸せにしたかった、助けたかった……。

私は沢山心配をかけてきたし、きっと親不孝者だったけれど、ギリギリで親孝行が出来た、でももっとしたかった。

言葉にするとどれも安っぽく、しっくりきませんが、とにかく大好きな母ともっともっと一緒に居たかったです。


苦しみを共にして来た長男はもうじき3歳になり、お兄ちゃんにもなりました。元気すぎるくらい元気で活発な子に育ち、イヤイヤ期も加わり……毎日振り回されています。

でも、この子が居てくれたから、私はここまで生きてこられたし、親孝行ができた。暗く辛い日々の中にも、希望や笑顔を運んできてくれた。

きっと息子は覚えてないんだろうけれど、母と息子と私で過ごしたほんのわずかな時間は、母にとって、辛い時を帳消しにするほど幸せな時間であって欲しいと願っています。

少なくとも私にとっては本当にかけがえのない時間でした。母のように優しくて出来た母親には程遠い私ですが、これからも、生きていきます。


ライター:はるか

※ この記事は2024年10月13日に再公開された記事です。

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連載「第一回 記事投稿コンテスト 『出産』」 #90
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