出産は、良くも悪くも想定外のことばかりだ。
妊娠中の自分になにか伝えられるとしたら、私はひとことそう言うだろう。
夏真っ盛りの8月、お盆を間近に控え、予定日からはすでに1 週間が経過しようとしていた。初産は遅れることが多いとは聞いていたが、我が子はまったくと言っていいほど外の世界に出てくる気配が感じられない。
予定日当日に受けた検診で、もし1週間後まで何もなければ入院して陣痛誘発剤を使いましょう、と説明を受けてはいたものの、まさか本当に1週間経ってしまうとは思ってもみなかった。さすがに焦りがつのる。
もうずいぶん前から、いつなにがあってもいいように、入院グッズも心の準備も万全だったのに。そろそろおしるしがあるか、陣痛がくるか、はたまた破水するのか……。
そんな私の気持ちをよそに、結局運命の(?)1週間後を迎えたわけである。
「じゃあ月曜日の朝9時に来てください、入院の手続きしますんで。」と告げられ、病院をあとにした。
今のところ胎児と母体に問題はないものの、妊娠40週を過ぎると胎盤の機能が徐々に低下していくこと、胎児が成長しすぎると出産時の母体への負担が大きいということ。
また、妊娠高血圧を発症するのリスクが高まってしまうことなどから、陣痛誘発剤の使用が望ましいというのが担当医の見解だった。
漠然と、予定日を迎えれば自然に生まれるもんだとばかり思っていた私は、「子どもってままならないもんだな」と勝手に悟りを開いていたが、現実はまだ子育てのスタートラインにも立っていない。
入院の朝、一通りの手続きと検査を終えて、病室に案内された。渡された錠剤を飲んで、ベッドでだらだらと雑誌を読む。十月十日に及ぶ妊娠期間の間、こんな自分の姿をいつ想像しただろうか。
”お産のはじまり”って、破水した!とか、陣痛が5分間隔に!病院行こう!とか、そういうのがセオリーなんじゃないの?遅れた場合のことなんて、どのサイトにも書いてなかったじゃん。
仕事を休んで付き添ってくれている夫も、義実家への連絡が済めばすることもない。記念にと言って、はち切れそうなお腹とピンクの入院着姿を写真に収めてくれた。
当直の助産師さん曰く、「飲み薬では陣痛来ない人がほとんどですからね、今日は一応様子をみて、明日点滴しましょうね。」とのことだったので、実家の家族にも「生まれるのは明日か明後日になるみたい」と連絡を入れた。
実家からは新幹線を使っても片道4時間はかかる。「妻と生まれた子どもにしばらく会えないのはつらい」という夫の気持ちを汲んで、里帰り出産は選ばなかった。
当初、私は母に立ち会ってもらう気満々だったのだが、当の本人には「え、嫌だよ、怖いじゃん」と無下に断られてしまった。早く行ってもいつ生まれるか分からないし迷惑だろうから、無事生まれてから会いに行くよ、と。
手持ち無沙汰に過ごしていたちょうどこのとき、日本列島には大型の台風が上陸しようとしていた。
その日、最後の投薬を終えて日勤の助産師さんが帰ったころ、なんとなくお腹に違和感を覚えた。張りが強くなったような、時折痛いような感じもしたが、「すぐには陣痛来ないって言ってたしな」とあまり気に留めずにいた。
もっとはっきりした手応えがあるものなんじゃ……と悠長に構えていたが、夫に促されナースコールに手を伸ばす。
やってきた夜勤の助産師さんは、丸顔の、肝っ玉母さんを絵にかいたような人だった。
「あ~これは陣痛来てるかもしれないね。その様子じゃまだまだ大したことなさそうだから、お産に備えてしっかり晩ごはん食べておいてね!」とハキハキ言って立ち去っていく。
お産は体力勝負って聞くし、今のうちに食べとこう、と思った矢先、徐々に強まる痛みとともに、今度はひどい眠気が襲ってきた。
ここから私の戦いが始まったのである。
眠い……
食べなきゃ……
うっ、お腹痛い……
気づけば食べ始めてから2時間近くが経っていた。
「あら!まだ食べてたの!ちょっと時間かかりすぎよ~」と様子を見に来た例の助産師さんに呆れられる始末。
陣痛の合間、ぼんやりしていると、風がガタガタと窓を揺らした。雨も強くなってきたようだ。また痛みの波が来る。スマホに入れていた陣痛記録アプリを立ち上げるが、だんだん画面をタップする気力も無くなってくる。
そこからは、ひたすらベッドの上で痛みに耐えるのみだった。教えられた通り、息を吸ってー吐いてーを繰り返す。夫は試行錯誤しながら腰を押してくれている。私はただただ呼吸に集中するしかなかった。
「もう7㎝開いてるわね、分娩室行きましょう!」
どのくらい時間が経ったか分からなかったが、そう言われて心底ホッとした。いきみを逃すのがこんなにつらいなんて……もうさっさと終わりにしたかった。
かろうじて時計を確認すると、ちょうど日付が変わろうとしている。
膀胱がパンパンだからトイレに行くようにと言われたが、いざしようと思っても、これが全然出ない。産道を圧迫するから後でチューブで抜くわよと言われ、お願いします、と返事をするのが精一杯だった。
もう無理、もう出そう……
全身から汗が止まらない。
分娩室に入ってからも、いきみ逃しが続いていた。
そのときやっと、もういきんでいいわよ!と聞こえて力を込めた。バシャー!と音がして破水したのがわかった。本当に水風船がはじけたようだった。これが破水ってやつか、と思ったのも束の間、なんとかあお向けに体勢を変える。
言われるがまま、このハンドル握って、脚踏ん張って、目閉じちゃダメ!目線こっち、次はもっとながーくいきんで!そうそう上手!頭出てきたよ、もう少し!!
ほとんど混乱状態だったはずなのに、指示を全部飲みこんで、その通りにやれているという実感があった。
頭は完全に冴えていた。このとき、あと一息!と必死にいきんだ私の顔を見て「ぷっ」と笑った助産師さんのことは、決して忘れることはないだろう。
そのとき早くも、ふぎゃあ!という声がした。「あ、もう泣いた」と駆け付けたばかりの担当医がつぶやくのが聞こえた。もうちょっとなんか言うことあるでしょ、こっちは修羅場なのに。
「もう楽にしていいよ、大きく息してー」
ああ、やっとだ、と思ったら、股のあたりにトン!と衝撃があった。「わあ、ジャンプして出てきたねえ!」と盛り上がる分娩室。全身が外に出る瞬間、へとへとの母に我が子は元気よく蹴りをかましてくれたのだった。
タオルに包まれた我が子を見たときは、ただただ不思議な感覚だった。感動のご対面?いやいや。ほんとに私のお腹から出てきたの?案外しっかりした顔してる……目の前の状況に頭がついていかないとはこういうことか。
イリュージョンでも見せられたような気分だった。
いざ生まれたとき、どんな気持ちになるんだろうと考えていたけれど、やりきった安堵感の中、生まれたての我が子の抱き方も分からずに、ただただぽかんとしていただけだった。
「取り乱したりせずに、落ち着いて出来たわね」「ママも赤ちゃんも上出来よ~!」と助産師さんたちに褒められたことは、うれしい誤算と言えよう。
息子はなんと、へその緒が首に2回も巻きついたまま生まれてきた。へその緒自体が長かったらしく、これじゃなかなか出る気にならないよね~とうなずく助産師さん。
結局 9日遅れての出産、あんなに気を揉んだのに、そんな些細なことだったのかなあ。けどそれは誰にも、息子本人ですら分からないことだ。
気づけば台風も去っていた。朝一番の新幹線で、両親と妹がこっちに来るという。
処置が終わる明け方まで一睡もせずに付き添っていた夫は、さすがに疲労困憊といった様子で自宅へ帰っていった。
終わってみれば私の出産は、人に語って聞かせるような爆笑エピソードも無ければ、涙の感動ストーリーも無い。至って平凡な、まあわりと安産でよかったね、くらいの話である(それが一番とも思えるが)。
ただ初めての出産は、だれにとっても不安と想定外の連続で、それをひとつひとつ乗り越えての新しい命との対面は、すべてがかけがえのない瞬間だと言い切れる。
出産方法も、かかった時間も、立ち合いの有無もみんな違うけれど、私は世の中の、ママになった全員に、よくがんばったね!!お疲れ様!と言ってまわりたい。
そして、ここから始まった我が子との毎日は、決して楽しいことばかりではないけれど、私は息子に何回でも、「生まれてきてくれてありがとう」と伝えていきたいと思うのだ。
ライター名:すみまろ