妻と僕の間には、現在1歳4ヶ月の息子がいます。妻は以前産後うつだったのですが、それを乗り越え、夫婦力を合わせて子育てをする生活を送っています。
ここのところ急に寒くなったからか、息子は体調を崩してしまい、今1週間ほど保育園を休んでいます。妻も僕も看病でヘトヘト。子育ての楽しさも辛さも味わっています。
僕にとって家族はとても大事です。妻と息子が快適に暮らせるにはどうすれば良いかいつも考え、全力で実践してきたつもりです。
家族に対する愛情や行動については少しばかり自負がある、そんな僕ですが、実は過去にとてつもない無力感を抱いた場面があります。
それは、1年4ヶ月前にさかのぼります。
妻に陣痛が起こったのは、2017年6月3日(土)深夜1時のことでした。僕は妻の腰をさすりながら産婦人科に電話をし、タクシーを呼んで病院へ向かいました。到着後すぐに、妻と一緒に陣痛室へ入りました。
しばらく様子を見ていましたが、痛みの間隔はどんどん狭まっていきます。「痛い」と冷静に言うだけだった妻でしたが、だんだんと「痛い!!!」と語気が強まり、汗の量も増えていきました。
妻は痛さのあまり四つん這いになり、苦悶の表情を浮かべるようになりました。この姿を見て、僕にも緊張が走ります。
妻は病院が指定した下着を着用していたのですが、痛みでのたうち回って位置がずれてしまい、くるぶしから下の部分とシーツに血液がべったりと付いてしまいました。
僕は陣痛室からナースコールを押して、助産師さんに異変を知らせます。
痛みと緊張で妻は全身には力が入り、いきみがちになってしまいます。でも子宮口が十分に開いていない状態でいきむと、赤ちゃんもママも辛い状況になりお産が長引くおそれがあるんです。
助産師さんから、「力を抜いて!息を吐きなさい!!」と強烈な喝が入ります。
ここで助産師さんは、僕に退室を促します。僕は「はい」と答えて外に出て、廊下にあるベンチに腰掛けて再び呼ばれるのを待ちました。
痛みによる妻の悲鳴は、陣痛室の外、深夜で誰もいない廊下にまで響き渡りました。ベンチの端に座っていた僕は、拳に力を込めながら、しかし絶望的な無力感に包まれていきます。
「僕が代わってあげたい!」
「痛みをとってあげたい!」
「僕にも少し分けて欲しい!」
愛する人が目の前で苦しんでいるのに何もできない。時間にしてほんの10分くらいだったはずですが、その何倍も、とてつもなく長い時間に感じられました。
僕は立ち会い出産しようと決めたときから、夫婦は出産に向けて共に走る伴走者ととらえてきました。僕は妻の支えになりたかったし、実際に妻からも、夫である僕の存在が何よりも支えになると言われました。
立ち会い出産は、分娩室で隣にいるだけじゃない。普段から出産をシミュレーションして、妻が何を望むかを把握していくことが大切です。
出産という命がけのシーンで、夫からの「僕は、何すればいい?」の質問に答える余裕は妻にはありません。
夫として「妻のために何ができるか」を考え、それを習慣化していく。立ち会い出産は、こうしたコミュニケーションの集大成だと思っていて、僕はできることを全力でやってきたんです。
それだけに、いざ本番になってみて、何もできない自分に歯がゆさを感じました。
陣痛室に戻ってしばらくして、いよいよ分娩室へ移動する時がきました。
僕は水とジュースを買い、自宅から持ってきていたタオルを手にして、懸命にいきむ妻の汗を拭き、水を与えていました。
妻の手を握り、妻がいきむ時には一緒にいきみました。
いきむ姿を初めて見ましたが、顔が真っ赤になり、ものすごい力の入りようでした。すでに数時間も陣痛の強烈な痛みを耐えた後、どこにこの力が残っているのかと妻の強さを感じました。
分娩はスムーズで、助産師さんから「この調子よ」「赤ちゃんの頭が見えてきたよ」と声をかけられます。
約40分後、息子は部屋中に響くくらいの産声を上げて誕生しました。午前5時30ころのことでした。このときの僕の感想は、「人から人が出てきた!!」でした……。
言葉を扱う仕事をしているとはとても思えない感想を言ったことで、妻からは今でも「もっと違うコメントはなかったのか」とつつかれます(笑)。
とはいえ、僕が隣にいたことは妻にとって大きかったようで「一緒に呼吸を合わせてくれたことが嬉しかった」「隣にいてくれて心強かった」と言われました。
途中であまりの無力さに心が折れそうになりましたが、最終的には伴走者として妻の精神的な支えになれて嬉しかったです。
余談ですが、誕生の瞬間に僕はスマホで産声を録音しました。10秒ほどのわずかな時間ですが、おさまりきらないほどの感動が詰まっています。
子育ては幸せですが、正直大変です。「もう親休みたい!」と、気持ちの余裕をなくしてしまうことだって、たまにはあります。そんなとき、僕は録音した産声を聴き、そして思い出すのです。
家族への愛しさや親になったときに決心した「この子を見守り続ける」という原点を。
そうしたらまた、今日もパパがんばろうって力が湧いてくる。
僕は、ぎゅーっと息子を抱きしめます。
ライター:そのべゆういち