私にはいつのころからか、「自分がAという考え方をするんだから相手だってそうに違いない。」と思い込む節がありました。
例えば夫とケンカするとき(ケンカといっても私が一方的にぶつけるだけなのですが…)。
これまで溜めてきた小さな不満を一気にうわーっと吐き出す私。芋づる式のように、日ごろから心配していることやもっとこうしてほしいという要望がいくつも連なり、ぽんぽんと飛び出してきます。
一方の夫はというと、私の文句を聞きながらうつむいて押し黙ったままです。
しばらくすると私は途中でこちらばかりわめいていることに耐え切れなくなり、「何か言うことはないの!?」と問い詰めてしまう。
考え込む夫。長い時間をかけながら、ポツリ…ポツリ…と言葉を絞り出す。
その言葉を聞きながら私は思うのです。「ほら見ろ。やっぱりあなたも私と同じように溜め込んでたんじゃないの」と。
私は常に何かを考えているタイプ。楽しみなこと、悲しかったこと、不安なこと、これらが頭の中をずっとぐるぐるしています。
夫は基本的に何も考えていないタイプ。基本的に頭の中は空っぽの状態で、考えるべきときがきたらその都度考える人です。
けれど冒頭に書いたとおり、私には「自分がこうなんだから相手もこうだろう」という思い込みがありました。
ゆえに夫に対しても、夫が散々「自分は基本、何も考えていない。だから、何を考えているの!?言うことないの?と言われても本当にないんだよ」と言っているにも関わらず…
「いやいやそうは言うてもあなたも(私と同じように)色々考えていて、実は腹に溜めてたりするんでしょ?言わないだけなんでしょ?」と決めつけていました。
話は変わってわが子の話。
わが家には4歳の長女と2歳の次女の二人姉妹がいます。
私自身も二人姉妹の長女。それゆえか同じ境遇のわが長女に対して、「あー…私に似てほしくないな~」という思いを抱いていました。
私は一般的に言われている長女気質をまんま絵に描いたような性格で、しんどい思いをすることも多々ありました。
親や大人の気持ちを必要以上に慮ったり。相手の期待に応えようと無理してがんばったり。誰かに言われたわけでもないのに、自分が我慢すればいいって思ってしまったり。
しかし、悲しいかな…似てほしくないという私の思いとは裏腹に、長女には自分の片鱗がちらちらと見てとれたのです。
長女、1歳。
児童館に遊びに行っても私にくっついて側を離れようとしない(うわー、私の人見知りなとこに似てるかも…)。
長女、2歳。
同じ年頃の子と使いたいおもちゃがかぶると譲りがち(ひー、そこ遠慮しなくてもいいのに!)。
長女、4歳。これは割と最近の話です。
2歳離れた次女に「○○取ってきてー」というと先んじて取ってきてくれる(ちょっ……親の期待に応えようとしなくていいからー)。
我が子が成長していく喜びよりも、育っていくほどに自分に似てくる不安の方がはるかに大きい。それは、なかなかにキツいものでした。
私と似ているところを見つけると落ち込む。あぁ、育て方がよくないのだろうか…と自己嫌悪に陥る。
負のループです。
ループはぐるぐると頭の中で渦を巻きながら大きくなっていくばかりでしたが、長女2歳7ヶ月、次女0歳6ヶ月の時にピークを迎えました。
「もういやだーーーーー!!!!!」
私の中で何かが爆発しました。
もう、「長女が私に似てほしくない」と思いながらの育児は嫌だ!長女と幼いころの自分を重ねて比べっこするのしんどい!
変わりたい!自分を変えたい!!!!!
負のループの極限から生まれた「変わりたい」パワーは、思いのほか大きいものでした。
私は具体的にどうすれば根本的に変わっていくことができるのかのヒントになる本と、相性がよく、親身になってくれるセラピストさんと出会うことができました。
本を読みこみ、セラピーを受ける中で私はあることを思い出します。
そういえば、私も母から「自分に似てほしくない」と言われ続けていた。「ネガティブな自分には似ませんように。ポジティブな父に似ますように」って母はよく言っていたっけ。
子ども時代、母からその言葉を聞くたびに私の心はざわつきました。耳を塞いでしまいたくなるような、泣き笑いしたくなるような苦い気持ち。
母の言葉を、私はこんな風に受け取っていたのです。「ネガティブな自分に似てほしくないけど似ちゃったね。ごめんね」
あの頃に感じた苦い気持ちはなんだったんだろう。大人になった今、もう1度思い出してみることにしました。
「そんなこと言われたって今更どうしようもないじゃんよ」という怒り。
「お母さんに似ちゃってごめんね。期待に沿えなくてごめんね」という悲しみ。
そんな感情が隠れていたのです。
怒ったり、悲しんだり、ネガティブな感情はなるべく顔に出さないように頑張ってきたもんね。親に心配かけたくなくて、いつも笑っていようとしてきたよね。
小さい時の私、よく頑張ったねーーー。
胸の奥にしまい込んでいた「腹が立つ!」や「悲しいよー」を取り出して、泣いたりわめいたりしながら気が済むまで味わいました。味わい切って、肩の力が抜けるころには、私に大きな変化が起きていたのでした。
「自分がAという考え方をするんだから相手だってそうに違いない。」という思い込みが消え、「自分は自分。人は人」という考えに変わったのです。
すると夫を見る目ががらりと変わりました。
夫って……本ッッッ当になにも考えてないんだ。
「なんも考えてない」は本心で、「本当は腹に溜めてるけど何も考えてないってことにしておこう」なんてことは一切ないんだ。
そういう人なんだ。私とは違うんだ。
10年間連れ添って来てやっと、私は夫を理解したのです。
変化は夫に対してだけではありません。
あれ??長女って全然、私と似てなくない!?長女は、長女じゃん!!
「自分は自分。人は人」という心持ちで長女と接していると、新鮮な驚きがそこにはありました。長女と私は同じ二人姉妹の長女だけれど、全くの別人格だったのです。
幼稚園の参観日。
園児たちが楽しそうにダンスを踊る中で「早く終わらないかな…」という顔でひとりたたずんでいた長女。いわく、「あの曲あんまり好きじゃないんだよね」と。
衝撃でした。自分はどんなダンスも張り切って踊るタイプだったから。
「曲が好きじゃないから踊りたくない」という考えがあることにまず驚き、続いてその考えの持ち主のひとりがうちの長女であることにビックリしたのです。
彼女は、いつの間にか児童館に着くなり私から離れていくようになっていました。
誰かと使いたいおもちゃがかぶったときは、「まぁいいや。他ので遊ぼ」という時は譲るし、どうしても使いたければ静かに待っていることが分かりました。
私が「○○取ってきてー」というとやはりいち早く応じてくれますが、それは「よっしゃ私が!」という純粋な使命感からでした。
私は、長女が自分に似てくるのが不安だった。
「二人姉妹の長女だった自分が典型的な長女っぽい性格だったんだから、同じく二人姉妹の長女である長女も同じようなしんどさを抱えるだろう」と思い込んでいたんです(私の母も、きっとそうだったんだろうと思います)。
でも長女は長女というひとりの人間でした。
時々、長女の発想がわからなさ過ぎて「この子は宇宙人!?」と思ってしまうほど(笑)。
親が子どもに与える影響は大きいだろう。子どもが親に似る部分もあるだろう。
それでも家族みんな、独立したひとりひとりの人格なんだ。
個々の人格の集まりであるわが家族が、これからどんなチームになっていくのか、想像すらできないことに私は可笑しみを感じるのです。
ライター:宇加里もりこ