ベルギーはフランダース地方で、三姉妹を育てる大阪人さとえみです。
今回は、絶望的なまでに仕事に向いていない状態(環境的にも素質的にも)のさとえみが、
「仕事」=「自分」を取り戻していく途中の話です。
まずは、どれだけ仕事に向いてないのか、「ナイナイづくし」な様子を見てみましょう…!
もうね、もうすぐ40歳ですよ。
いや、まだ38歳ですけど、ちゃんと数えるのがアレなのでキリよく40歳でイイです。
そんなことがもうどうでもよくなるくらい…、一日中体がダルいし頭も回らない。
※あくまで私の話です。
頭が回らないから、言葉も覚えられていません。
10年も住めば(結婚をきっかけに移住して10年経ちました)、それなりに分かるはずという淡い希望は、
淡いというか透明に限りなく近いブルーでした…。
ちなみに現地の言葉とは「フランダース訛りのあるオランダ語」です。
一応学校に通ったり、オーディオでオランダ語の授業を聞いたりしていましたが、
何ともかんともいきませんでした。
仕事に使えそうな資格も持っていません。
生まれてこのかた、物心ついた頃からずっと絵を描いてきて、
「絵で食えなかった時のため」にとった唯一の資格である「小学校教諭」の免許も失効してしまいました。
(大学を卒業した当時は、一度教員免許を取得したらずっと有効だったのですが、その後制度が変更になりました…)
これは誤解を生みそうなので、慎重に言葉を選びながら説明する必要があるのですが…
さとうは時間に遅刻しがちです。
遅刻するつもりは1ミリもないのですが、「遅刻したらアカン」を100回唱えて10分くらい遅刻します。
成果報酬の仕事ならいざ知らず、時給で働くのはとても無理というか、
もう「遅刻したらアカン」を100回唱えているうちに、ストレスで気力を激しく消耗するのです…。
さらに、10分遅刻しようものなら、ものすごい自己嫌悪でパフォーマンスが落ちる。
その悪循環に陥るのが目に見えているため、普通の雇用形態で仕事をするというのは無理なのです。
そんな「ナイナイづくし」のさとうですが、
冒頭でもちらっと書いたように、私にとって「仕事」は「自分」なのです。
親に殴られ、教師に「絵で食べていくのは、お前には無理」と言われ続け、
同級生の嘲笑にも耐えながらも…ずっと絵を描いてきました。
大きな駅の歩道橋の上で、排気ガスと紫外線や雨にまみれながら、自分の両手から生まれるものを信じていた。
そうやって作り上げてきた「自分」が、
唯一積み上げてきた「自分」が、
たかが場所が違うだけ、言葉が出来ないだけ、10分遅刻するだけで消えてしまうなんて信じられない。
さとうは…「自分」を諦めなかった!
ベルギーを含め、西欧州には親日家が多いです。
日本の天皇家とベルギー王室が仲が良いと言う理由もあるのですが、
若い人が日本が好きな理由は、大抵がアニメや漫画だろうと思います。
そのため、毎週のように大小さまざまなイベントが企画されており、
日本やアジアにちなんだものも多くあります。
良さそうなイベントに目星をつけては、英語で、
「ライブでお客さんの似顔絵が描ける日本人アーティストですが、出店させてくれへん?」
と、メールやフォームを送りまくる。
すると…主催者は、喜んで出店させてくれるのです!
欧州に日本人はたくさん住んでいますが、
「その現場に行き」「特殊主技術を披露でき」「イベントに参加したい」と言ってくれる日本人は稀。
特に最後の「自分から参加したいとコンタクトをとってくれる」日本人は少ない。
ここで…魔法がかかり始めるのです!
初めてヨーロッパのイベントに参加してから、「日本人」であることをより強調するために、
絵の描き方からディスプレイに至るまで、工夫に工夫を重ねました。
そして、
「ここの言葉は出来へんねん、日本語ならペラッペラやけどな〜!」
とジョークを言い、「日本人を強調しつつも笑いをとる」ということまで可能に!。
ここまでくると、魔法は増大します。
日本で仕事をしていた頃よりずっといい値段で、似顔絵は飛ぶように売れるようになりました。
時には、長蛇の列ができることも。
こうして取り戻した「自分」は、何倍もの価値になったのです。
もちろん、今はまだ育児を中心にするべき時期なので、毎週のようにイベント出店することはできません。
でも、だからこそ、家庭運営に支障をきたさない程度にイベント出店できるというのは、とてもありがたいことなのです。
選ぶのは、そう「自分」。
自分の裁量で、どの場所・どの日程で仕事をするのかが決められるし、10分遅刻しても“店主”は自分なので怒られない。
自分は自分の技量を知っているので、資格もテストも面接もいらない。
そして、体力もなく頭も回らないけれど、6時間〜8時間は連続して絵を描き続けられる!
そんな自分を、
そんな仕事を、
諦めなくて良かった。
そんな仕事で、
そんな自分で、
本当に良かった。
…とは言え、今はまだ「途中」の話。
子どもたちの手が離れ、彼女たちの日本語の勉強も必要にならなくなった時、
もう一度「自分」に向き合う必要があるのだと思います。
その日が来るのが嬉しいような、寂しいような…
今から複雑な気持ちです。
皆さんもぜひ(仕事をするしないに関わらず)、
何かに「デメリット」がもしあると感じるなら、それを「メリット」に変えて魔法をかけてあげてください。
紛れもない自分自身に。
(いつもよりポエム成分が多めですまんね。)
ほなまた!