長男は3歳の時に慢性の腎疾患を患い、幼稚園に入園してからも発病を繰り返していました。
長男ケイは第一子。
体が弱かったせいもあり、運動ができなかったので、「男の子なのに…。小学校に入ったらいったいどうなるんだろう…」と、幼稚園の頃から過剰に心配していました。
そして周りの子たちがスイミングやサッカーに通う元気な姿を目の当たりにし、うちの子にも「なにか」と考えるようになったのです。
長男が5歳の頃、近所の学習塾に入塾し、国語と算数を習うようになりました。
宿題が多いことで有名な塾でしたが、家でゲームばかりするより断然いいだろうと思い、本人にろくに説明もしないままに通うようになったのです。
「もう塾をやめたい」と言われても猛反対!
体の弱い長男に「なにか」を与えたかった私は、入院中の病床にも宿題を持っていきました。
そのせいもあり、小学校入学時には2年生までの国語算数が完了していたのです。
病気で運動ができなかった長男に「なにか」を見つけてあげたくて、小学校入学前に「塾に通って勉強させる」という選択をしましたが…。
あくまでも親発信の「させる」でした。当時、本人のあやふやな返事も度外視してしまったような気がします。
先生のおっしゃるように、小学校は、家族以外の人間と自分の意志でコミュニケーションする場です。「みんななかよく」ということは、「NO!」と言わないことではなく、争っても解決することなのです。
もともとおっとりした性格の長男なので、学校で“イエスマン”になったのは私がすすめた塾通いのせいだとは思っていません。
ただ、あのとき先生と話をして気付いたのは、小学校というのはひたすら種をまくところで、どんな花が咲くか分かるのはまだ先のことなのだということ。
いつか開花するであろうその時期までは、親はひたすら肥やしを与え水をやり、あたたかな日差しに感謝しながら、まだかまだかと毎日その土を眺めるのが務めなんだと思います。