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公開 2021年06月16日  

母性はどこからくるの?我が子からの無償の愛が、教えてくれたこと。

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子ども好きで、教育に関する仕事をしていたものの、実際に自分が母になることを全く想像をしていなかった私。お腹の中で赤ちゃんが成長していくことに不思議な気持ちに…。


すぐに母性が溢れるわけではないと気づいた妊婦時代


6年間、子どもの教育に携わる会社で働いていた私は、日ごろから幼児から高校生くらいの子ども達と関わり、日々出来ることが増えていく子ども達を見守る仕事にやりがいを感じていました。

また、乳幼児と保護者相手に絵本の読み聞かせなどもしていたため、赤ちゃんと接する機会も多々ありました。

しかし、自分がママになることについては、それほど具体的に想像できていませんでした。


結婚して、いざ自分が妊娠すると、検診でエコー写真を見せてもらう度、

「悪阻で寝ていただけなのに、いつの間にか大きくなってる!」

「赤ちゃんが育っていく様子なんて知らなかったのに、ちゃんと背骨ができてきている!」

と、お腹の中でどんどん生命が育っていく様子にただただ驚くばかり。


それまで抱いていた「お腹をなでながら赤ちゃんに語り掛ける」といった母性溢れるイメージと現実は異なったのです。


分娩中も妙に冷静な自分がいて、赤ちゃんの泣き声が聞けて安堵した一方で、

カンガルーケアでお腹の上に乗せられたあまりにも小さな赤ちゃんに、驚き戸惑いました。

産まれたての赤ちゃんに「ママだよ」と言うのも、なんだか照れ臭かったのを覚えています。

無事に出産はしたものの、まだ心の準備ができないままに赤ちゃんとの生活がスタートしました。



母性の芽生え


自分のお腹から出てきた小さな小さな生命に戸惑いつつも、始まった娘との生活。

そんな私ですが、心配をよそに母性は優しく訪れました。


ほのかにミルクの香りがする新生児期。

ふにゃふにゃしていて抱きしめるととても温かい赤ちゃん。

私の腕の中ですやすやと寝息をたてている…。

「可愛い!」と思わずにはいられませんでした。

何時間でも見ていられました。



目に入るものすべてに興味を持ち始める乳児期。

家中の箱を引っ張り出してはひっくり返し続けたり。

大好きな絵本を舐めまくって、いつの間にかページの隅を食べてしまったり。

音の出るおもちゃが大好きで、音楽がかかると笑顔でノリノリに揺れたり。

日々娘の行動には驚きつつも、たくさん笑わせてもらいました。



ヨチヨチ歩き始めた幼児期。

初めて外で私が手を差し出した時、しっかりと握ってくれて感動したことを覚えています。

それからは毎日、娘と手を繋いでたくさんお散歩しました。

公園では蝶々を追いかけて夢中になって走って転び、泣いた娘を抱っこしながら一緒に蝶々を追いかけたことも。


少しずつ話せるようになって、「ママ、抱っこ」「ママ、ギューして」とせがむ娘。

言われるたび、できる限り娘を抱っこし、私も娘にギューっとしてもらってきました。


毎日全力で笑ったり泣いたりする娘と過ごすうちに、娘が私の事を愛してくれて必要としてくれていることが、とても幸せだと気づきました。

だんだん母性が溢れ出るようになり、娘が可愛くてたまらない存在になっていったのです。



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自由に使える時間は減ったけれど、出産を機に自分の新しい一面を知れた


子どもが生まれたことで当然ながら、自由に使える自分の時間は減り、生活は大きく変わりました。

新生児の頃、授乳やおむつ替えに追われ、ご飯をゆっくり食べる時間もありませんでした。

乳児期は、お風呂は子ども中心になり、ゆっくりお湯につかったり、自分の髪の毛を乾かすこともできないほど。

幼児になると、テレビ番組は子ども番組中心で、ドラマや映画を見る機会もめっきり減りました。



しかしその代わりに、子育てを通じて得られたことがたくさんありました。

今、娘は6歳。

私に怒られて拗ねても、最終的には抱っこをせがみます。

小学校から帰ってきて、膝の上でお菓子を食べながらとても安心したような顔をする娘。

「ママだいすきよ、いつもおいしいごはんをつくってくれてありがとう」と毎日のように手紙をくれます。



子どもは全力で私を信頼し、必要としてくれています。

イライラして怒ってしまう日もありますが、子ども達と一緒に生活する今という時間は、かけがえのない幸せな時間だと感じています。


子どもが小学生の今は、休日のお出かけと言えば公園や動物園や水族館などで、オシャレなお店などにはなかなか行けません。

しかし、子どもがいるおかげで、学校行事にも参加できるし、公園で童心に返って思いっきり遊べるし、恐竜にも詳しくなれました。

夫とも「子どもがいるおかげで世界が広がったね」とよく話をしています。



しかし、子どもはいつまでも親と一緒に行動してくれるわけではありません。

大きくなるにつれ、友達と過ごすほうが楽しくなってくるでしょうし、その日のことを思うと、嬉しくも少し切なく感じます。


先日家族で温泉に行ったとき、娘と女風呂でゆっくりつかりながら

「大きくなっても一緒に温泉に入ろうね」という話をしていました。

娘が生まれた頃には母性がなかなか持てなかった私が、娘が大きくなることを想像して感傷的になるなんて。



いつもそばにいて無償の愛を注いでくれる子ども達との日々はかけがえのないものです。

「ママきて~」「ママギューして~」と探して甘えてくれる存在が必ずいることで、私も強くなったと思います。

大きくなって巣立つ日がきても、私たちの娘であることに変わりはありません。

娘が自立していくのを見守りつつ、私も娘から自立していかなければと考える日々です。



子どもと共に成長していく


時間もお金も自分の好きなように使えた、独身時代。

2人で自由気ままに楽しんだ、夫婦だけの時代。

子どもを育てることでたくさんの喜びを発見する、家族の時代。

それぞれの時代を精一杯楽しんで生きてきました。



どの時代が一番幸せということはありませんが、自分の新しい一面を知ることが一番多いのは家族ができてからです。

子どもが生まれるまでは、我が子が信号を渡るだけでこんなに心配する日が来るなんて想像しませんでした。

大きなランドセルを背負い1人で歩く後ろ姿に涙が出るほど感動する、そんな自分がいることも想像できませんでした。


これからも子どもの成長とともに、自分の新しい一面を発見していくのかなと思います。

※ この記事は2024年10月06日に再公開された記事です。

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