とにかく、世の中のいろんなものごとの塩梅や、ことわりがわからない。
だって、今日、当たり前だったことが、明日にはひっくり返っていたりする。
母の時代の常識が、私の時代の非常識になり、海外では周知の事実が、この国では初耳だ。そんなことだらけだから、世の中をどう理解したらいいのかわからない。
例えば、離乳食だとか、水分の摂らせ方だとか、着せるものだとか、授乳の間隔だとか、母親業は塩梅について考えることの連続だ。
長女が産まれて、母親業がスタートしてからというもの、常に塩梅に悩まされている。
中でも私がいちばん理解に苦しんだのは、子どもの衣服についてだ。
一般的には、着せる枚数に関して悩むのだと思うのだけど、長女が0歳から2歳ごろまでの頃は、そもそも、着せるべきなのだろうか、という極論に達した悩みを抱えていた。
あの頃の私は完全なる塩梅迷子だった。
とは言うものの、そこには私なりの事情があるので、いったん聞いてほしい。
長女は服を着るのが嫌いな赤ん坊だった。
お風呂上りにからだを拭いて、保湿をして、さあ、服を着せましょう、という段になると、泣くのだ。
確か、生後2か月頃からそんな調子だったと思う。
暑かろうが、寒かろうが、服を着たがらないのだ。
そうか、ついこの前までお腹の中で一糸まとわぬ姿で心地よく暮らしていたもんね、腹から出たとたん服を着ろなんて、窮屈この上ないわよねぇ、と思うよりほかなかった。
衣類を快く受け入れてくれないまま、長女は1歳になった。
この頃になると、わずかながら自我も芽生えるので、こちらも無理強いするのが億劫だった。
真冬なのに、肌着しか着ていない長女の写真が何枚も残っている。
お友達宅でのクリスマスパーティーにご招待いただいたときの写真も、ほかのお友達が、サンタ服なんかを着ている横で、長女だけが肌着1枚だ。
一般的には、子どもが気に入るかわいいお洋服を用意してみたり、手遊びやお歌を交えて着衣の動作を楽しませたり、いろんな方法があるのだと思うのだけれど、いかんせん、私はそうする事情が理解できずにいた。
つまり、服を着なくてはいけない理由が分からなかったのだ。
まだ物言わぬ我が子だけれど、もしも、
「どうして服を着なくてはいけないの」
と問われたら、なんと答えればよいのだろう。
その答えが見つからなかった。
彼女がもし、それなりの年齢に達しているのであれば、社会的な事情が加味されるけれど、1歳児が服を着なくてはならない理由が、とんと見つからなかったのだ。
少なくとも家にいるときくらいは、肌着1枚だろうが、おむつ1枚だろうがかまわないよね、としか思えなかった。
衣類を好まないまま、長女は2歳になった。
服を着ないと風邪をひくのでは、という私の心配をよそに、一度も風邪をひくことなく、2歳になったのだ。
これで、「風邪をひくから着ようね」も使えなくなった。
使ったその場で、私はうそつき母さんになってしまう。
2歳と言えばイヤイヤ期である。
おはようも、おやすみも、お返事も、なにもかも、口をひらけば「いや」と発する娘が、着衣なんてするはずもなかった。
動きもずいぶんと器用になって、しゃっとうまい具合に着せたとしても、鮮やかに2秒で脱いでしまう。
着せては脱ぎ、脱いでは着せる、の繰り返しだった。
因みに、この頃、彼女の服はもっとも着せやすいという理由から、ワンピース一択になっていた。
支援センターで、肌着、ティシャツ、レギンスとスカート、そして靴下までを着こなしている子を見ると、いったい何時間かかったらそんなにいろんな布地を子どもに着せることが叶うのだろう、と勝手に気が遠くなっていた。
オムツとワンピース、それだけを着せるのに丸1日かかったことさえあった。
服を着るのが嫌な娘と、服を着せる理由が見いだせない母親との攻防戦だ。
母親に勝ち目はない。
娘の衣類嫌いは加速の一途を辿り、ついにはオムツさえ履くのを嫌がるようになった。
が、このときすでに、私は塩梅迷子が加速して2年だ。
オムツに関しても履かせなければいけないのだろうか、と立ち止まってしまったのだ。
以前テレビで、どこかの偉い先生が、「オムツの歴史って実はとても浅いんです。人類がおむつを履くようになったのなんて、ほんの100年くらい前のことですよ」と言っていたのが頭の片隅に残っていた。
オムツを嫌がる娘をみるにつけ、この子はつい先日まで、原子の塊、卵子だったというのに、いきなり直近100年のことわりを押し付けられて、いい迷惑なのでは、と脳裏に浮かんでいた。
また、その偉い先生は、「世界規模で見ると、おむつを履かせる国のほうが圧倒的に少ないですよ。赤ちゃんの排泄物を汚いと考えていないんですね」とも言っていた。
つい先日まで、万国共通の、ただの卵子だったのに、いきなり極東の島国の常識をあてがわれて、混乱しているのでは、彼女だって排泄物を汚いと思っていないはずだ、とも思っていた。
「おしっこ出たらどうするの」と言ってみたところで、おもらしをされて困るのは「私」だけであり、おむつを履きたくない「娘」の主張においては、なんの説得力もないのだ。
偉い先生の言葉が頭の片隅にあったばっかりに、完全に迷子を極めていた。
この頃になると、写真の中の娘は当然、素っ裸ばかりになった。
さて、ここまで読んで下さった多くのかたが、で、おしっことかうんちとかどうしてたの、垂れ流してたの、と気になったことだと思うのでお答えしたい。
驚いたことに、ノーおむつを実施していると、排泄を我慢するらしかった。
長女の場合は、本来なら排泄物を受け止めるはずの、おむつがあてがわれていないことによって、出してはいけない、と判断したらしい。
たった一度だけ、うんちが辛抱たまらん感じになって、慌てふためく様子が見られたのち、漏らしてしまうということがあったのだけれど、2回目以降は、部屋の片隅で忘れ去られていたオブジェ、すなわちおまるで、自主的に排泄をするようになったのだった。
長女、2歳と3ヶ月のことだった。
素っ裸でおまるにまたがる姿が今も瞼の裏に焼き付いている。
あんなに服を着なかった長女だけれど、今は当然、自分で服を着ているし、着たくないとごねることも、もちろんない。
あんなに、どうしたものかと頭を悩ませたのだって、今となればいい思い出だ。
今思うと、衣類1枚、おむつ1枚に、ずいぶんと壮大に頭を悩ませていたんだなぁ、と思うのだけど、その時はと言えば、まさに渦中の只中だから、渦の大きさと全貌が見えない恐ろしさであれこれ頭を抱えてしまっていた。
でも、育児ってそういうことが連綿と続く線のことをいうのだよね、とも、また、思うのだけど。