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公開 2019年10月10日  

「ならねば育児」で余裕なし…世界をかえた「カレーうどん」

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慣れない2人育児にぐったり……。「ねばならない」にがんじがらめになっていた私が変わるきっかけは、カレーうどんでした。


余裕がなく、上の子に優しくできなかった日々

私にはなかなか消えない後悔があります。

それは4年前、当時まだ2歳だった長女に優しくできなかったこと。

「ママ来て!」と言われたらすぐに向かってあげたり、「ママ抱っこして」と言われたら、すぐに抱きしめてあげたり。

今思えばたったこれだけのことを、当時は本当に余裕がなくてできなかったのです。

その頃は次女が産まれ、私は一人で家事と育児をして毎日必死でした。

仕事が激務の夫には頼れず、なかなかそのつらさを打ち明けられずにいました。

このとき長女は、まだ2歳。

靴はまだ自分では履けないし、転んだときには起きあげてもらうまで泣き続けていることも。

目を離せないこともあり、手助けがまだまだ必要な時期でした。

だけどその頃の私は、そんな長女に「お姉ちゃん」という役割を半ば強制的に与えてしまっていたような気がします。

「私はこんなに頑張ってるんだから、『お姉ちゃん』も少しくらい我慢してよ」と。

様々な「ねばならない」にしばられ、自分に厳しくしすぎていた

どうして私は、長女に対して余裕を持って接することができなかったのか。

きっと私は誰かに手伝ってもらいたかった気持ちを、まだ小さかった長女にぶつけてしまっていたのだと思います。

当時の私は様々な固定観念にしばられていて、たとえば

・仕事が忙しい夫には頼らず、一人で家事も育児もこなすべきだ

・家族の健康のために、毎日違う献立を考えなくてはいけない

・掃除機は毎日欠かさずかけなくてはいけない

今思えば、ただの思い込みにすぎないのですが、当時はこれが普通のことだと思っていました。

夫は夜遅くまで働いていたし、近くに実家もない、頼れる人がいないという理由もあり

「私が2人の育児と家事をしっかりやらねば!」という責任感で、頭がいっぱい。

でも実際は、理想の育児に近づけない自分に嫌気がさしていました。

その余裕のなさが、長女への接し方に表れていたのだと思います。

固定観念から解放されたきっかけは「カレーうどん」

ある日ママ友と「今日の夕飯なににしようか」という話をしていたときのこと。

当時の私は「栄養のことを考えて、毎日の献立はまったく別のメニューにするべき」という、今思えば高すぎるハードルを自分に課しており、毎日違う献立をイチから作っていました。

どうしようか、と考え込む私をよそに

「うちは昨日カレーだったから、今日はその残りをカレーうどんにしようかなあ〜。」

と、ママ友がサラッと言ったのです。

「毎日の献立はまったく違うものにしないといけない」という固定観念を持っていた私は、すっかり拍子抜けしてしまいました。

(…え?毎日違うものを作らないといけないと思っていたのは私だけ?)

そのとき、私の中にあった「固定観念」がガラガラっと音を立てて崩れ始めたのです。

「もっと負担を減らしてもいいんだ」と、自分に厳しくしすぎていた部分を、少し解放できた感覚にもなりました。

ママ友との何気ない会話をきっかけに、自分へ勝手に課した責任にがんじがらめになっていることに気がつけたのです。

思い込みを減らして、子どもたちとの時間を作る

ママ友との会話をきっかけに、自分が勝手に「やらなくてはいけない」と思い込んでいた家事を、少しずつ減らしていきました。

私の場合、やるべき作業が多いと余裕がなくなってイライラしがちに。

そのため洗濯物は乾燥機におまかせしたり、掃除をしやすいように家具の配置を変えたり、おもちゃの数を減らしたり。

もちろん残り物だって大いに活用します。

「家事と育児のタスクが増えて余裕がなくなりそう……」

「イライラして子どもたちとうまく関係が築けないな」と気付いたら、積極的に負担を減らすように心がけています。

そうすることによって、長女の「ママきてー!」にも笑顔で接することができるようになり、子どもたちの話も最後までうんうんと聞いてあげられるようになりました。

とはいえ、未だに「今はこの家事を先にやってしまいたい!」という葛藤と戦ってしまうのは事実。

ですが、長女と多くの時間を過ごすことが、私を幸せなママにしてくれています。

今は2歳のときの分まで、長女の気持ちに応える時間を大切にしています。

※ この記事は2024年11月01日に再公開された記事です。

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