我が家の行き過ぎた食欲の秋。80個の餃子と、満腹中枢を刺激するための、細やかな抵抗。のタイトル画像
公開 2019年11月13日  

我が家の行き過ぎた食欲の秋。80個の餃子と、満腹中枢を刺激するための、細やかな抵抗。

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食べない悩みもそれなりにあったはずなんだけど、気がついたらこのありさまです。秋って罪深い。


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秋が深まって、子どもたちの食欲がすごい。

爆発している。

大食漢の夫のDNAを受け継いで、そもそもうちの子どもたちは食欲が旺盛気味なのだけれど、朝夕が冷え込んで、秋が深まり冬が近づくこの頃、その食欲が暴走している。



先週末のことだった。

休日のお昼ごはんを何にしようか、と思案しているところへ、末っ子(2歳)が待ちきれずにぐずりだした。まだ11時だというのに。

眠たさも手伝って、少々ややこしい。

「ちゅるちゅる食べたいの―――!!!」

と台所で叫ぶ。

冷蔵庫を見渡したら、あった。お鍋のしめ用の煮込みラーメン(2人分)があった。

「今つくるからね!」と鍋に湯を沸かして、適当に切った野菜やら肉やらと一緒に麺を煮込む。

匂いにつられて、お腹が空く息子(5歳)。コンロの周りを小さい二人がうろうろする。

即席めんをつくる速さでなんとかこしらえて、ふたりに提供した。

光の速さで麺を吸い込む姿に、恐ろしささえ感じた。


さて、我が家にはまだふたりの食欲モンスターがいるのを、忘れてはいけない。

長女(7歳)と、ラスボス夫(40歳)だ。

冷蔵庫に豚ひき肉と厚揚げがあるのを見て、よし、麻婆(揚)豆腐だ、と心に決めた。

ざっと刻んでざっと炒めて、ざっと味付けをして、ごはんにかける。

「お待たせ、召し上がれ!」という頃には息子が麺を吸い終えて、「それも食べる」と言う。

そうかそうか、と給仕して、さあどうぞ、と言う頃には、長女がもう「お代わり!」と元気に発声している。ちゃんと噛んだ……?

そのはざまに「牛乳飲みたい!」とか「お水飲みたい!」とかに、答えているうちに、気づけば炊飯器の中には、小鳥の餌ほどしかごはんが残っていなかった。

いったいどういうこと。

私まだ何も食べていない。



みんな大変元気で、すがすがしい食欲なのは素晴らしいのだけれど、いかんせんつくる人はひとりなわけで、つまり追い付かないのだ。

直径26cmのお鍋に、あふれんばっかりのシチューを作ったとする。

一食でぺろりだ。

もちろん飲むように食べないよう、噛み応えのある副菜を用意することも忘れない。

例えば、きんぴら蓮根とか、そういうのだ。合間に時間を稼ぐおかずが必要という不便。

さらに、少し苦手な食材のおかずも忘れてはいけない。ほうれん草のソテーとかそういうもの。ちょっと食べるのに躊躇したり、減らしたいと母に交渉を試みるくらいの時間稼ぎが生まれる。少しでも完食までの時間を稼ぐことによって、満腹中枢への刺激を期待するのだ。

さらに、シチューのルーを使わない、という配慮も必要になる。

これは、私がルーを使わないお料理上手なお母さんパフォーマンスではなくて、市販のルーってやつはおいしすぎるのだ。めちゃくちゃおいしいのだ。

市販のルーなんて使ったら、我が家のお鍋では、賄いきれないくらいの量を食べるのが、目に見えている。恐ろしすぎて買えない。

配慮と手間が、私のキャパシティのぎりぎりラインだ。


シチューよりさらに恐ろしいのが、餃子だ。

息子と末っ子の大好物が、餃子なのだ。

「今日の夕飯はなににしようかしら」とつぶやけば、かなりの高確率で「餃子」と返ってくる。10回中8回くらいは「餃子」だ。

そんなにリクエストされたら、つくらないわけにはいかないし、私にもそれなりの母性があるから、つくってあげたい気持ちもある。

が、ハードルが高い。

みんなの大好物(夫と長女はほとんどの食べ物が好物)ともなれば、その量をつくるのは、気が遠くなるような作業なのだ。

聞いてください、我が家の場合、みんなが血で血を洗う闘いをしないためには、だいたい80個の餃子がいる。5人家族、ひとりは2歳だというのに、この数字おかしくないですか。

彼らが食べ盛りの中高生になったら、餃子は幻の食べ物になるんではないだろうか。家庭内絶滅危惧がすごい。


毎回心を無にして、ひたすら包む。隣で2歳とか5歳が変形餃子をこしらえていても、気にしない、ただ包む。皮が尽きるまで、ただ包むのだ。

血で血を洗わないために、ただひたすらに包むのだ。

餃子に関してはこの量と手間だから、シチューほど、副菜に気を配ることもできない。サラダとスープがせいぜいだ。

せっせと餃子を口に運ぶ子どもたちと、餃子の残量を見比べながら、白米を積極的に勧めて、なんとか餃子の減りを食い止めるくらいしかできない。

なんとか満腹中枢に満腹が届くまでに、餃子が尽き果てないことを祈りながら、白米をひたすら勧めている。



さて、話を週末に戻そう。

私だって人並みにお腹が空くのに、炊飯器の中には申し訳程度のごはんしか残っていない。それをかっさらえて、麻婆をかけてさらりと食べた。

当然、それっぽっちでお腹は満たされないから、何かないかしらと、冷蔵庫やパントリーを探りに探って、クラッカーを見つけた。

昨夜の残り(と言っても手のひらくらい)のミネストローネを、冷蔵庫から見つけて、クラッカーにのせて食べた。

なかなかおいしくて、2枚目も食べる。

そうだ頂き物のポークリエットがあったんだった、それも飛び切りのやつ。と、それを乗せてもう1枚。お腹は少しもの足りないけれど、おいしくて満たされそうだわ、と思った矢先、夫が隣でにこにこと立っていた。

顔が「それおいしそうだね」と言っている。「少し分けて」と言っている。

思わず絶句して、夫の顔をじっと見てしまった。

「わ、たし、ごはんもなくて、これしかなくて…」と言いよどんだら、夫はまたも顔面だけで「なんで分かったの!?!」と狼狽して「そんなつもりじゃ!」と今度は声に出して慌てていた。生粋の食い意地を見た。

夫をなんとか追い払ったら、今度は長女がふらりと現れて、にこにこしながら「それ食べたい」と言った。

なんだか、そうだよね、と諦めたい気持ちになって、最後の1枚を長女にあげた。

「わぁ!おいしい!」とかわいらしく喜ぶ長女をみて、「そうでしょ、ママのお友達がくれたんだよ」なんて言いながら、そうかこれが食欲の秋だよね、と思ったのだ。



余談だけれど、長女は今、ミサンガを腕につけていて、ぷつんと切れて願い事が叶うのを、それはそれは楽しみにしている。

なにをお願いしたんだろう、と気になって聞いたのだけど、その答えが「トマトが100個食べられますように」だった。

叶うといいと心から思っている。


※ この記事は2024年12月07日に再公開された記事です。

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