先月のこと、長女の土曜参観があって、月曜日が代休になった。
私は家で仕事をしているので、その日は長女とふたりきりということになる。
実は前々から、その日は長女とふたりで出かけよう、と決めていたのだ。
午前中、私は少し仕事をして、長女はテレビを観たり、おえかきをしたりして「お昼は何か好きなものをどこかに食べに行こう」と提案した。
「なにが食べたい?」と訊ねると、「ざくろ」と長女。
ざくろ……?????ざくろ……。
「それは果物の……ザクロ?」
「うん。そう」
長女は極度の食いしん坊で、常に食べたことのないものを探し求めている。
ザクロ発言に心当たりはあった。
長女が気に入って繰り返し観ている海外の料理番組が、我が家のハードディスクには入っていて、その料理番組で、デザートをつくるのにザクロを使うのだ。
気持ちは分かる。赤くてつやっとして、おいしそうだもんね。ザクロ。
「ザクロはちょっと…なかなかないんじゃない?」
返事をしながらウェブで検索すると、意外なことに何件か出てきた。まじか。
近隣のフレンチレストランがいくつか候補に出てきた。ザクロはお肉のソースに使われているようだった。
いやしかし、7歳の子どもが食べるメニューはないでしょう、フレンチだし大人用のコースでは量が多すぎる。ちょっとほかになにか食べたいものがないか考えてみてよ、と言うと今度は「豚足」と返ってきた。
ここぞとばかりに珍しいものを食べようと、貪欲になりすぎている。
「豚足??!」
「ほら、前にさ、ばぁばと運動会の後に行ったお店、あそこにあったの覚えてるもん」
そのお店は豚肉と野菜を中心としたビュッフェ料理のお店で、確かにあの日、豚足があった。あったのだ。
「あれを食べたいなー」
ーーあの店は高い。ばぁばと一緒でなくては厳しい。
「ザクロか豚足がいい!」
が、にこにことそう言われてしまうと、ひるんでしまう。
大好きなパスタを提案しても、スマホでかわいいキッズプレートがあるお店を見せても、首をふって、「ザクロか豚足」と、長女は頑として譲らなかった。
お昼ごはんが迫る。
幼稚園チームのお迎えのことを考えると、のんびりもしていられない。
とりあえず、車をくだんのビュッフェのお店へ向かって走らせた。
あの店はいつも混んでいるし、行列を見れば、お腹も減っているだろうから諦めるだろう、という寸法だった。
いざお店の前につくと、やはり溢れんばかりの人がいた。
ウェイティングボードにはまだまだ消化できていない名前がずらりと並んでいる。
「ちょっと混んでるし、ゆっくりごはんを食べる時間も考えたら、こんなに待てないよ」
と、伝えたのだけど、頑固な長女は譲らなかった。
「待てるから大丈夫」
にこやかだった。
「いやでもね、」と何度も説明をしたのだけれど、菩薩のような微笑みをたずさえて「だいじょうぶ」と繰り返し言われると、なんだか諭されたような気持になって、「うん、待とうか」と言ってしまっていた。懐柔される母。
「でも、弟のお迎えもあるから、13時20分まで待って、それでもだめなら他のお店に行ってごはんを食べようね。じゃないと結局なんにも食べられなくて、お腹が空いたままお迎えになっちゃうから」
と話すと、そこは納得してくれた。
待っている間も長女は終始ご機嫌だった。
お腹もすいているだろうに、退屈だろうに、なにをするでもなく、ずっと隣でにこにこして、あれこれ、とりとめもなく話していた。
いつもだったらここに、息子が割り込んでくるんだよなぁ、とか、退屈した末っ子を外に連れ出したりしてるんだろうなぁ、と考えるとまるで別次元の時間を生きているみたいだった。
そんな時間が私も長女も物珍しくて、そわそわしたり、にこにこしたりしているだけで、あっという間に時間が過ぎた。
そして、時計の針が13時18分を指したころ、名前が呼ばれた。
長女が「私の勝ちだね」と、またにこにこ笑って、思わず私も笑ってしまった。
今日は無礼講だ。
実は少し前に、長女のことで気になることがあった。
詳しくは省かせていただくのだけど、ざっくり書くと、長女と私とのコミュニケーションに少し不安があったのだ。そのことを同じ姉弟構成で、子どもたちの年齢も同じ、という奇特な友人に相談をした。
すると彼女からこんな言葉が飛び出した。
「代休とかにさ、ふたりで出かけたりすることある?」
今まで代休で長女と二人になることは何度かあっても、ふたりでわざわざ出かけたことはなかった。
なんだか下のふたりにも悪いような気がしてしまって。
「ないかも」
「それするとな、すっごいよろこぶねん。下の子たちが小学生になったら、代休もかぶっちゃうやん?今しかできないし、行ってみたら?」
そうか、なるほど。
なんで今までやらなかったんだろう。
つまらない小さな罪悪感に縛られて、つい窮屈なことばかりしてしまうところが私にはある。
そんな事情で、今回は長女とお出かけしよう、なるべく長女の希望をかなえよう、そう思っていたのだった。
その日はメニューがハロウィン仕様になっていて、どれもこれもかわいい装飾がされていた。かわいいらしいお料理を見て、長女はやはり終始にこにこしていた。
「これ取って」「これも取って」と頼まれて、「はいはい」とお皿に乗せてあげる。
いつもだったら目が離せない末っ子の手を引いて、まだ手先が不器用な長男の介助をしているだろう。
なんとかなりそうな長女を、私がお世話することってほとんどない。
夫が見ているか、自分でなんとかしているはずだ。
料理を取って、皿に乗せてやる、それだけのことが私も長女も嬉しかった。
お行儀よく「いただきます」をして、ゆっくりごはんを食べた。
「それなあに」「ひとくちちょうだい」「おいしいね」
なにを話しても、なにを食べても、長女は嬉しそうだった。
自分ひとりの要求を通してもらうことも、母とふたりきりで出かけることも、すべてがきっと彼女にとって新鮮でとびきり嬉しいことだったんだろう。
すべての瞬間を、にこにこと過ごしてくれる長女が、かわいくないはずがなかった。
この子はこんなにかわいい顔をしていたんだな、と思わされる時間だった。
学校のことやお友達のこと、長女もたくさん、いろんな話をしてくれた。
その日の夜、夫と一緒に少し早めに布団に入った長女は、今日のことを小声で話していたらしい。
夫曰く、「ほんとうに嬉しそうだった」んだとか。
あんな嬉しそうな顔なかなか見ない、とも言っていた。
まだ小さい下のふたりにかまけて、ついつい、何か話したそうにしている長女に対して、見て見ぬ振りをしたことは一度や二度じゃない。
後で聞くから、そう思いながら気がついたら次の日を迎えている。
長女も私もどこかで、そういうものだと目をつぶっていたんだよな、となんだか、ぐさりと見えない刃が突き刺さるような心地だった。
日々はとっても慌ただしくて、ついついつまらないことでイライラしたり、とげとげしたりしてしまう。
こういう立ち止まってただ、かわいいと思える時間が私にも持てるなんて、思いもしなかった。
友人にとっても感謝している。
もちろん、言うまでもなく、弟や妹と遊びまわって、笑い転げている長女も飛び切りかわいくて、その姿にもたくさん元気をもらっているのもまた事実だから、いつもの日々を嘆くつもりは毛頭ない。
どちらもあって、それでいい。
けれど、3人いるからしかたない、と、つい目をつむってしまいがちな部分に、少しだけ目を向けていきたいな、と思う日だった。
きっと、あっという間に、私たちの見えないところで、悩んだり泣いたり笑ったりするようになるんだから。